歴史上の人物の伝記研究

●24日は、久し振りに東京へ行き、歴史の研究会に出て、研究発表をした。研究発表というよりも、実質は話題提供程度のものであった。私以外の2名の方は、若いし充実した内容の発表であった。若い研究者の発表は充実している。参考資料を拝見しただけで、切り拓いているな、と思う。私にも、そんな時期があった、と思うと懐かしい。
●歴史上の過去の人物の研究は、本当に面白い。一人の研究者が、歴史上の人物を次から次へと調べて伝記を書いている例もある。かつて、私は二本松の歴史研究者と雑談した時、そんなに如儡子ばかり追っていて意味があるんですか? と言われた事がある。そう言われると、本当に困る。歴史学と文学の違いかな、とも思った。確かに、一人の研究者が一人の歴史上の過去の人物に一生を費やす、これは考えものかも知れない。
如儡子、斎藤親盛。仮名草子作者。最上家親に仕え、主家の改易に伴って浪人となり、苦しい生涯の中で、『可笑記』『砕玉抄』『堪忍記』『百八町記』俳諧作品などを後世に遺した。この人物は、その実体を解明しておく価値はあるのだろうか。
●35年前、私は、全く未知の人物の著作、写本12冊に出会った。日付があるので、日記のようであった。著者は女性だった。そのうちに御子孫の方々も明らかになった。私はその女性を「井関隆子(いせき たかこ)」と呼ぶことにして、その著作を『井関隆子日記』と呼ぶことにした。その後、その女性の作品として、『さくら雄が物かたり』『神代のいましめ』『いなみ野』などが発見された。その結果、幕末期の歴史的人物として、「井関隆子」という女性が実在したことが明らかになった。
●自分自身、『可笑記』『砕玉抄』『堪忍記』『百八町記』、『井関隆子日記』『さくら雄が物かたり』『神代のいましめ』『いなみ野』のような著作は書けないが、過去の歴史上の人物に光を当て、明確にする、それは、それで意義はあるのではないか、そんな風に思う。