朝倉治彦先生と私

朝倉治彦先生が御他界なされた。膨大な著作を遺されて、89歳の御生涯を全うされた。見事な研究者の生き方であったと、心から敬服申し上げる。
●私は、卒論で仮名草子可笑記』を選んだ。今、当時を振り返ると、この作品は書誌的に大変な問題をかかえた作品だった。そんなこともあり、国会図書館へ日参したが、何か疑問が生じると、朝倉先生に教えて頂いた。先生は、その都度、あたたかくお導き下さった。
●私は、自分の生涯の研究目標として、大きなことは最初から考えなかった。『可笑記』とその作者の解明、これが目標だった。それでも良いと思える作品だった。
●そんな、私に転機を与えて下さったのは、前田金五郎先生と横山重先生だった。両先生は、昭和47年(1972)から刊行開始された『近世文学資料類従』(勉誠社)の解題担当者に私を加えて下さった。ここで、私の仮名草子における対象範囲が拡大された。その後、平成元年(1989)に、朝倉先生は『仮名草子集成』第10巻に私を加えて下さった。ここで、さらに、私の研究範囲は広くなった。このような経過をたどって、私は仮名草子を研究してきた訳であり、横山・前田・朝倉の三先生の御配慮で研究してきた、と言ってもいいと思う。
●私が『仮名草子集成』に参加するに当たって、横山先生と朝倉先生の間に、微妙な関係があって、これには苦慮した。しかし、朝倉先生は、『仮名草子集成』の出発に際し、本文の組み方も、横山先生の『室町時代物語大成』と同様のスタイルを採用された。これは、横山先生を尊敬していなければ出来ないことである。このことを、横山先生に御説明申し上げて、『仮名草子集成』に参加することを許可して頂いた。
●朝倉先生は、『近世木活図録』(昭和59年、青裳堂書店)、『桜山本 春雨物語』』(昭和61年、勉誠社)、『仮名草子集成』(平成元年、東京堂書店)、『仮名草子研究叢書』(平成18年、クレス出版)などの出版の機会を与えて下さった。これは、私の研究生活の中で、極めて重要な意味を持っている。改めて、先生の御温情に感謝申し上げる。
●朝倉先生は、『仮名草子集成』を、第1巻から、全巻、御恵与下さった。しかも、1巻1巻、手渡しである。その度ごとに、喫茶店や居酒屋で、長時間にわたって、さまざまな学問上のお教えを賜った。年2回から3回ということになる。そのお話の中に、当然、仮名草子に関する事も多かった。先生の仮名草子論には特異な視点があった。長年に亙って広く、沢山の諸本に目を通された研究者でなければ主張できない点があった。私は、その対談を録音させて貰い、研究書にまとめたい、と、何回もお願いしたが、先生は許されなかった。これは、最も残念に思うことである。先生の研究ノートなどがあるならば、関係者にまとめてもらいたいと、心から切望する。
朝倉治彦先生は、事実に基づいて述べ、余り評論はしない、という点で、横山重先生と共通したところがあるように、私は思う。私は、お二人の先生にお会いでき、多くの事をお教え頂いたことに、改めて感謝申し上げる。
■『近世木活図録』・『桜山本 春雨物語』』・『仮名草子集成』など。