9月 読書の秋、危険な書を読もう

●今日から9月である。日本の四季は素晴らしい。秋になると、暑さも和らぎ、本を読みたくなる。お隣のKさんちのMちゃんも夏休みが終って、いよいよ2学期で、お友達とも久し振りに再会して、楽しいひと時に湧いているだろう。学校の図書室には『はだしのゲン』はあるのかな。松江市では、この漫画は児童には危険だとして、開架書架には置かない処置を取った。しかし、この8月、教育委員会は、この処置を撤回したという。一時、悪書追放運動が盛んだったこともあった。子供の情操教育の問題と、ライターの表現の自由の問題があって、大変だ。
●ところで、私の研究している仮名草子、『可笑記』も『三河物語』と共に、危険な書として、徳川幕府に睨まれていたらしい。これは、小説でのことではあるが、堂門冬二の『老虫は消えず 小説大久保彦左衛門』(1994年10月30日、集英社発行)に、3代将軍・家光の頃の幕府の首脳陣が、この2書を危険な書物として対応を検討している。この小説では、如儡子・斎藤親盛は、慶安の変といわれる、幕府転覆計画を目論んだ、由比正雪とも会っている。
●また、棚倉藩士、上坂平次郎は、随筆『梅花軒随筆』の中で、「(如儡は)可笑記、百八丁記、堪忍記など作りけるゆへ、かへって用ひられざりしとなり。」と記しているが、福井県立図書館保管の、松平文庫に所蔵されている『堪忍記』には、各藩主に対する、批評・評価が記されている。
徳川頼宣紀州家―米はらい、所も吉。徳川頼房・水戸家―しはき御仕置也。酒井忠勝・小浜―悪しき主人、下々ノ下。松平信綱・川越―下々に同。・・・こんな具合に、全国の藩主を評価し、寸評を加えているのである。如儡子とは、恐るべき危険な書物を残した人物だった。
●また、私は、幕末の旗本の主婦の日記を発見して、『井関隆子日記』として世に送り出したが、この女性の批評眼は、なかなかのものである。生前に世間に出ていたら、幕府のオトガメを受けたであろう事は必定。
●こんな点を振り返ると、私は危険で有害な著作の研究ばかりしてきたことにもなる。果たして文化史的には、意義はあるのか、ないのか。これも、簡単には結論付けられない。

中沢啓治 作 『はだしのゲン

松江市教育委員会の会見

■堂門冬二作『老虫は消えず 小説大久保彦左衛門』と『可笑記