家族に乾杯、鶴岡・酒田へ

●妻と夕食をしながらテレビを見ていたら、NHKの釣瓶の家族に乾杯で、鶴岡・酒田が出ていた。大山へも訪ねていた。私にとっては、如儡子・斎藤親盛の出生の地でもあり、懐かしい所である。ゲストの野際陽子さんが、出羽三山の手向の宿坊を訪ね、ほら貝の吹き方を教えて貰っていた。
●私は、出羽三山の調査のために、手向の小林坊に連泊して調査したことがある。そこの、三山神社祝部の小林庸高氏は、ほら貝の名手で、テレビにも出ていたことがある。
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羽黒山の調査
●平成4年9月、斎藤輝利氏・斎藤弘雄氏・庄司浩士氏等と赤湯で落ち合い、長井市で全員合流、後は車で鶴岡まで走り、羽黒町手向の羽黒山門前の小林坊に5日間宿泊、ここを拠点に羽黒山一帯の調査をした。
●宿坊の朝は、祈祷から始まる。宿泊客全員が本堂に集合して、坊の主、三山神社祝部・小林庸高氏の主導で祈る。毎朝、祈祷の中に、本日の深沢秋男の調査に実りをもたらし給え、と織り込んで下さり、一層、気を引き締めて調査する毎日であった。
●小林庸高氏の御配慮で、最長老にもお会いする事が出来、調査は順調に進んだ。ただし、羽黒山は、明治維新神仏分離のあおりを受けて、山内にあった300とも言われる寺々はことごとく破棄され、石碑が至る所に転がっていた。焚書坑儒を思い起こし、誠に文化の破壊が残念であった。
羽黒山の資料は、ごくわずか残存し、多くは、転写などによって、四散した。
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●酒田・鶴岡の方々の、何ともいえない、暖かい方言と話し振りに、久し振りに接して、とても懐かしい気分になった。
■はら貝を練習する、野際陽子さん