徳川将軍家霊廟との出会い

●もう、かなり前のことである。日本文学研究会の夏の文学史跡めぐりは、上野寛永寺の徳川家霊廟ということになり、近世専攻の私が担当幹事になった。寛永寺に電話で問い合わせたところ、許可になり、研究者の会ならば、担当者が説明して下さるとのこと。謝礼は? と伺うと、もう、お気持ちで結構です、と仰る。会計係の笠間先生と相談して、本当に気持ちだけの3千円を入れ「日本文学研究会」と書いて持参した。
●当日は、10人ほどの常任委員が参加した。予定通り、午後1時、お伺いしたら、浦井正明氏が説明をして下さるという。五代将軍綱吉の宝塔を中心に、詳細な説明をして下さった。「先生方はもう御存知でしょうが」と前置きして話される内容のほとんどが未知のことばかりだった。私は、衝撃と感激と感動の連続で3時間を過ごした。最後に、例の「気持ちばかり」の謝礼を恐る恐る差し出した。
●私は、当時、誠文堂新光社の辞典部にいたが、私の提出した辞典の企画が保留になってしまい、人文科学の書籍を担当していた。当時、NHKの大河ドラマ徳川家康だった。このチャンスに「徳川将軍家霊廟の謎」を刊行したいと企画書を提出、1日でパスしてもらった。
●浦井先生には、内容は高度で難しくても結構ですが、文章は、一般人を対象にした、易しいものにして欲しい、とお願いした。私は、毎朝、上野の浦井先生宅へ伺い、1枚でも2枚でも、原稿を頂いて出社した。そのようにして刊行したのが、『もうひとつの徳川物語 将軍家霊廟の謎』である。発行は、昭和58年11月であった。その年の4月に、私は昭和女子大学へ移ったので、後は、東谷さんが引き継いで仕上げて下さった。大河ドラマに合せるという、もくろみは外れたが、良い本になって発行された。有り難く、感謝のこもる1冊である。
■浦井正明著『もうひとつの徳川物語 将軍家霊廟の謎』

■家宣宝塔の断面図

■当時の浦井正明氏