大矢数

●斎藤モールドのブログに「遠的といってかなりの距離を狙うんですが、50メートルくらいあるのかな?」とある。江戸時代も、殺伐たる戦国時代から平和の世となり、武道も競技のような傾向が出てきた。京都の三十三間堂の弓場で、1昼夜に射る矢の数を競った。三十三間だから、約60m位か。

○慶長11年(1606) 
 浅岡平兵衛 通し矢 51本
○寛文2年(1662) 
 星野勘左衛門 通し矢 6666本
○寛文8年(1668)
 葛西園右衛門 通し矢 7077本
○寛文9年
 星野勘左衛門 通し矢 8000本
○貞享4年(1687)
 和佐大八郎 通し矢  8132本 総矢数 13053本

尾州家の星野勘左衛門と、紀州家の和佐大八郎が争って、紀州家の和佐大八郎が勝った。
●かなり前になるが、筑波大学の学生が、三十三間堂で、通し矢に挑戦して、かなり苦戦していたように記憶している。
●この大矢数を見物した俳諧師が始めたのが矢数俳諧である。そういえば、私が、本の友社から『桜斎随筆』を出した時の編集担当者は西野さんで、国立大学の弓道部だった。卒業後も修業を続けていた。後に、同社から武道全集の大部な本が出たが、彼の企画だろうと思う。
■大矢数の儀式