忘れ去られた ノーベル賞作家

●今日の朝日新聞の夕刊に、ノーべル賞受賞作家、川端康成の作品、41点が発見され、全37巻の『川端康成全集』(新潮社発行)に未収録である、と報じられている。『オール読物』や『週刊朝日』に掲載された作品であるという。驚いたことである。
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 【織井優佳】ノーベル賞作家の川端康成(1899〜1972)の全集(37巻、新潮社刊)に未収録の小説、評論など41点を、一橋大学大学院生の石川偉子(よりこ)さん(33)が確認した。なかには雑誌で目玉扱いになった小説もあり、川端研究者も注目している。
 石川さんが同時代の作家中河与一の交友を調べるために国立国会図書館などで川端作品を調べたところ、25年に都新聞に載った評論「『谷崎潤一郎集』を読む」から、61年に作家の外村繁に出した書簡まで、少なくとも41点の未収録作品があることが分かった。
 中でも浅草が題材の小説2編は、雑誌の表紙に掲載が大きくうたわれたり、小説に合わせた巻頭グラビアが組まれたり、目玉扱いされているのに、川端研究者にも知られていなかったという。
 その一つの「浅草日記」(31年「オール読物」)は、関東大震災後の浅草に暮らす娼婦(しょうふ)の日記という体裁で、女心の機微や屈託をユーモラスに淡々とつづる。「浅草日記」は連作とみられ、別々の雑誌に載った短編がほかに3本ある。川端は「浅草日記」を気に入った作品と言及しているが、連作の最終章とみられるこの作品だけが全集に入っていなかった。
 もう1編の「今日の扉」(26年「週刊朝日」)は、浅草大火(21年)直後の浅草を舞台に、奔放な少女とインテリ崩れの青年の一夜を描く。社会規範を軽々と超越する美しい少女の姿に、新しい美と倫理を生み出す「悪」を生涯賛美した川端の思想が早くも表れている。
 随筆や評論の題材も、文学論、芥川龍之介の死などから美人論まで多彩。「眼光鋭い怖い人という印象だったが、実は面倒見が良く、頼まれた仕事は断れない人だったのでは」と石川さんは話す。
 川端文学の専門家の片山倫太郎・鶴見大教授は「川端の死後10年ほどで刊行されたこの全集の編纂(へんさん)には、研究者も参加している。漏れは少ないと考えられてきたが、未収録の作品が大量にあったことは驚きだ。作家研究の基礎資料の整備と点検は常に行うべきこと。当時の文壇の様子も明らかになる可能性があり、日本近代文学研究にとっても価値がある」と話す。
 調査の詳細は、6月中旬刊行の「川端文学への視界 年報2013」に掲載され、22日の川端康成学会(http://www.kawabata-kinenkai.org/bungakukai/)で発表される。    
朝日新聞デジタル  より】
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●私が現役で、昭和女子大で近世文学を講義していたころ、川端康成の未発表小説が発見されたと、確か『新潮45』に掲載されたことがある。ところが、それは、横光利一の小説を川端が写したものだった。川端は横光の小説を書写して、文章の練習をしたのであろう。川端の自筆ではあるが、川端の作品ではない。発見者は、確か「世の終り」という仮題を付けて発表してしまった。私は、この時、芭蕉の時間にも、近世文学史の時間にも、井関隆子日記の時間にも、内容を変更して、この問題を取り上げたことがある。
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■『新潮45
話題になった記事  1987年5月号で川端康成邸で見つかった原稿が、川端の初期未発表作品だったとして編集部で「世の終り」と仮題をつけて掲載。文学史上の発見と報じられる[10]。ところが同誌発売前にその13枚の短編小説は横光利一作品とほぼ同一であることが判明。誤報だった[11][12][13]。        【ウィキペディア】より
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朝日新聞デジタル 6月8日