斎藤家、第11代・又十郎、戊辰の役で戦死

如儡子・斎藤親盛の子孫、第11代の斎藤又十郎は、慶応4年7月27日、本宮南にて戦死した。丹羽久子が二本松を逃れて米沢へ出発した日である。法名は、腎心院義道宗勇居士、享年20歳であった。第11代は、弟の継盛(一)が継いだ。幕末の頃の斎藤家は、丹羽家にあって重要な役目を仰せつかっていた。しかし、廃藩置県、日本の近代化と共に紆余曲折を経て、現在に至っている。二本松→東京→長井、現在は金型の分野で活躍する、株式会社斎藤金型製作所となって世界に向けて活躍している。

■第11代の斎藤又十郎の位牌


■斎藤家の菩提寺、松岡寺

■斎藤家の墓所


■幕末の二本松の地図