二本松藩 第10代藩主長国妻・丹羽久子

●『歴史 REAL』「女たちの幕末・明治」に、二本松藩、第10代藩主の妻、丹羽久子が取り上げられている。慶応4年(1868)勃発した、統幕派と旧幕府軍との戦い、戊辰戦争は、近代日本の歴史の上で、渾沌激動の争乱である。この激動の中で、福島・二本松藩会津などと共に、旧幕府軍として薩長軍と熾烈な戦いを行った。
●慶応4年7月27日、二本松藩主・丹羽長国の妻・久子は、倒幕派の攻撃が迫り、米沢へ逃げる事になった。その逃避行の折に記した『道の記』が遺されている。

「辰といふ歳の卯月末の頃より世の中おだやかならず。白河てふ所まで敵のおしよせて合戦あまたたびあり。仙台公始め諸家のつはもの力をあはせて防ぎ戦へども敵はなかなかに強きよし聞えける。」

●久子の『道の記』は、このように書き始められている。文月末の7日(7月27日)、二本松にも敵が押し寄せて来るというので、寝ている子供の、みね子・きく子・こみ子を起こして、旅支度をして、夜中の12時頃、二本松を出発して、米沢へと逃れた。水原→板屋峠→大沢宿と苦しい旅をして、米沢に到着したのは、夜の8時頃だった、という。8月の初めには、二本松へ帰っているが、この時、久子は、次のような歌を詠んでいる。

 かくばかり厚き情けにふたもとのまつのみどりも色をそへつつ
 今年よりいやおひしげれいく万代みどりをそへよふたもとのまつ

●私が、戊辰戦争の折の二本松に興味を持つのは、この時、如儡子・斎藤親盛の子孫が、二本松藩の丹羽家に仕えていたからである。

■『歴史 REAL』「女たちの幕末・明治」

二本松藩主、丹羽長国の妻、久子