船外機

富士川下りの船頭さんのブログを見たら、富士川下りのお客さんの質問で、上りの舟はどうするの? という疑問が多いとのこと。船外機という動力で川を上るのだと、私も改めて教えてもらった。
徳川家康が甲斐の富士川を流通に利用しようと、角倉了意に開鑿工事を命じて、富士川の舟運は始められた。下り舟には甲斐や信濃の産物を載せ、上り舟には駿河の海産物を載せてのぼった。下りは1日、上りは綱で引き上げて4日ほどかかったという。以前、恩師の若林一郎先生が、色紙に富士川を3、4人の人が、綱で舟を引き上げる様子を描いて下さった。
●家康が、甲斐・信濃駿河の運送の手段として開発した富士川舟運も、鉄道の発達で衰退したが、今は、故郷を元気にする事業として、NPO法人によって復活した。事故の無いように、慎重に運営して、やがて、富士川の両岸に、桜や柳や様々な木々が植えられ、人々の心を癒してくれるように、念じている。

■船外機で、上る富士川

■船外機