清々しい論説

●今日の朝日新聞の、特別編集委員・冨永格氏の「(日曜に想う)ひと幕としてのユーロ危機」を気持ちよく読んだ。
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 パリの、淡い夏が近い。マロニエの若葉が風にきらめき、やせ我慢せずにカフェの屋外席に座れる日が増えてきた。通りに面した椅子に落ち着くと、もろもろが見えてくる。
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と書き始められる。
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 6年ぶりに暮らすパリには、物乞いが増えていた。正視しなければ路傍の影でも、街頭に染み出す貧困は隠しようもない。貧しさの大もとは、欧州を覆う不況らしい。一国の営みさえままならぬご時世、欧州連合(EU)の苦境は必然に思えてくる。

 経済に限らず、ヨーロッパは古来、「取扱注意」の大陸である。民族の利害がぶつかり、おのれ以外のすべてが敵という、バトルロイヤル的な戦乱を重ねてきた。つくりの甘いステンドグラスにも似て、一時(いっとき)の秩序をいじれば全体が崩れる。この地に武力で向き合ったカエサル、ナポレオン、ヒトラーは、自らの野望に押し潰されるように50代でみじめな最期を迎えた。

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 あまたの悲惨に学んだ欧州統合は、厄介な地を、一人の命も奪わずにまとめようという初の挑戦だ。武器ではなく知恵を頼り、遠征の代わりに会議を重ねて、はや還暦。よく持ったとも、とうに危ない年数ともいえる。

 ギリシャ、スペイン、イタリア、キプロス……。抜けない風邪のように、ユーロ圏の混迷が収まらない。

 「風邪ではなく持病。政治が強行した通貨統合に対する、経済の力学のリベンジです」。語るのは、経済学者の浜矩子(のりこ)さんだ。各国の豊かさはデコボコなのに、それをならす所得移転の仕組み、すなわち共通の財政がない。行き詰まるのは当然だと。

 なるほど、統合のシンボルを焦った嫌いはある。冷戦が終わり、EUは政治の求めで東に広がった。前からの基本設計を見直すことなく、単一通貨までがデコボコの経済圏に拡散した。

 国庫が火の車の南欧。政府の選択肢は限られ、悔しいが、厳父よろしく振る舞うドイツに頼るしかない。EUのルールより足元の暮らしという南の世論と、働きの悪い他国民を救うのはごめんという北の納税者。マーケットは「南北対立」を突いて、弱い国債やユーロを売る頃合いを計っている。支援疲れのドイツで秋にある総選挙は、危機の様相を左右しよう。

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 とはいえ、EUには還暦なりの経験と妥協の技がある。金融市場や世論は侮れないが、正すべきは正し、欧州統合は生き永らえるに違いない。

 EUはここまで、平和への願いと経済実利を両輪に歩んできた。草創期に奔走したフランスの知恵者、ジャン・モネを突き動かした思いは、歴代の野心家たちとはまるで違う。欧州を「どうにかしてやろう」ではなく、「どげんかせんといかん」である。

 半世紀前、米国を訪れたモネを時のケネディ大統領はこう励ました。「皇帝、国王、独裁者たちは力をもって欧州統合を企て、いずれも失敗した。ところがあなたの発意に基づいて、千年も実現しなかった統合が動き始めた。強い一つの欧州は、世界にも必要なのだ」(ジャン・モネ回顧録「ECメモワール」黒木寿時〈ひさとき〉訳)。

 前例のない試みだけに、挫折は一度二度ではない。ドゴール仏大統領ら、国家主権を愛する大物に振り回された時期もあった。彼の退場で欧州統合が再稼働したのは、44年前のきょうである。千年とは言わないまでも、世紀をまたぐ航海には色んな風が吹く。

 絶え間なく泡立つ、時代というソーダ水の海原を、ヨーロッパ建設の船が行く。国家をも相対化してしまう冒険に、私はなお、底知れぬ人間の英知を見る。いささか背伸びはしたけれど、未知に挑む意志にこそ、ユーロの真価がある。目下の試練も、長い叙事詩のひと幕として見守りたい。
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●要約したいと思ったが、どこもカットできない。 この文章を読んだだけで、1日が楽しくスタート出来た。
朝日新聞、デジタル 4月28日