武田二十四将・飯富虎昌 先祖祭り

●郷里、山梨県身延町飯富の古屋昇氏から、第800回・先祖祭りへのお招きを頂いた。古屋家の御先祖は、武田二十四将・飯富兵部少輔虎昌である。先祖祭りは、身延町飯富の本成寺で行われるとのこと。
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古屋一族縁起
 古屋家の祖は武田信玄(晴信)に仕えた重臣飯富兵部少輔虎昌(永禄8年没)の遺子古屋弥右衛門(昌時)である。
 弥右衛門は、虎昌が誅に伏した折の遺子坊磨呂(ぼうまろ)である。坊磨呂は四歳で信玄の正室の生家である三条家に預けられ、成長して母方の苗字を踏襲し、古屋弥右衛門として17歳の時、甲州に帰り、飯富に居を構えた。
 慶長17年(1612)昌時が51歳の時、独立した子どもたちの家族とともに先祖祭りを行い、以降、欠かすことなく春秋の彼岸に先祖祭りを執り行っている。・・・
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身延町飯富には、飯富虎昌の遺子・古屋弥右衛門(昌時)の供養塔「宝篋印塔」や、古屋弥次右衛門の板曼荼羅が伝存し、中富町指定文化財となっている。
●私は、学生時代から、武田信玄の軍記『甲陽軍鑑』の研究はしていたが、その重臣・飯富(おぶ)虎昌が、郷里・飯富(いいとみ)と関係あることを知ったのは、かなり後のことである。平成11年〜平成14年、科学研究費基礎研究の共同研究に参加し、「近世初期文芸と近世軍書――『可笑起』と『甲陽軍鑑』――」97頁、をまとめたことがある。今回の、第800回という記念すべき先祖祭りには、武田信玄の御子孫も見えられるという。私は、所用があって、参加させて頂けないのは、残念である。
■第800回 先祖祭り のしおり

■信玄公祭り に参加した、身延町の飯富虎昌の軍勢

■「近世初期文芸と近世軍書――『可笑起』と『甲陽軍鑑』――」