安岡 章太郎氏 御逝去 92歳

●作家・文芸評論家の安岡章太郎氏が御他界なされた。1月26日、92歳であった。
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安岡章太郎
1951年『ガラスの靴』が芥川賞の候補作に選ばれ、文壇に注目される。1953年、選考委員の評価が真っ二つに割れながらも『悪い仲間』・『陰気な愉しみ』により、芥川賞を受賞し、1954年には脊椎カリエスが快癒。以後創作活動に意欲的に取りくむ。『幕が下りてから』を発表した時、文芸評論家の川嶋至が、それが事実と違うことを指摘、安岡は怒り、パーティーで川嶋に殴りかかるつもりで、間違えて川村二郎を殴ったという(川嶋『文学の虚実』、井口時男『危機と闘争』)。『流離譚』では土佐藩での祖先の事跡を調査、『果てもない道中記』では中里介山大菩薩峠』を論じた。              
ウィキペディア より
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●私は、安岡章太郎氏の作品は読んでいないが、新聞連載の文芸時評を読んで、一流の文芸評論家だと尊敬していた。掲出記事の中の、川嶋至先生とのエピソードは、実に面白い。流石は、川嶋先生とも思う。

●私は川嶋至先生と同年の35年生まれ。平成8年、川嶋先生が昭和女子大学日本文学科の学科長になられた時、私は短期大学の国文学科の学科長になり、以後、親しく交流させて頂いた。川嶋先生は、平素は、大変温厚な方であったが、こと文学研究では厳しかった。先生は、私と同じ糖尿病で、私のすすめでギムネマ茶を愛飲していた。打合せで、御入院中の先生をお訪ねして、御指示を頂いたこともあった。

●平成13年7月2日、慎重に治療をお続けになった甲斐も無く、急逝されてしまわれた。その数日前まで、私は会議で先生と同席していたのである。66歳である。衝撃の報であった。私は、川嶋至先生の追悼文を『学苑』に書く羽目になったが、この時、先生の論文を改めて拝読した。先生の近代文学評論、研究論文は、実に厳しいものがあり、自説に生命をかけている姿勢がみられた。安岡章太郎氏とのエピソードは、さもありなん、と思われる。

お二人の、御冥福を心からお祈り申し上げる

朝日新聞、1月30日