『近藤忠義 人と学問 第二集・第三集 合併号』 発行

●近藤忠義先生を偲ぶ会・歴史社会学派研究会 共編の『近藤忠義 人と学問 第二集・第三集 合併号』が発行された。1012年12月25日発行、非売品。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
近藤 忠義(こんどう ただよし、1901年11月10日 - 1976年4月30日)は、日本の国文学者、法政大学名誉教授。
神戸市生まれ。第六高等学校をへて、1927年東京帝国大学国文科卒業。中学校講師ののち29年智山専門学校教授、師である藤村作の娘美耶子(近藤宮子)と結婚。34年法政大学教授。歴史社会学派として左翼的論陣を張るが1944年治安維持法違反で検挙され、翌年の終戦直後に釈放され、法大教授に復帰。戦後、日本文学協会を組織し50年中央委員長となる。1966年法政大在任のまま新設の和光大学教授・人文学部文学科長を兼ねる。67年法大辞職、名誉教授。1976年和光大を退職、その直後没した。近世文学を専攻したが近代文学も論じ、小田切秀雄は弟子に当たる。(「近藤忠義教授略年譜」『和光大学人文学部紀要』1976)  ウィキペディア より
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
●コンドウチュウギ、と言っても、今の若い研究者は、殆ど御存知ないかも知れない。近藤忠義先生に教えを受けたり、共に行動した者にとっては、時間の経過と共に忘れられてゆく現象に、少々寂しさを覚える。戦中・戦後を通じて、学問の自由を主張して戦い続けた学究の姿勢は、誠に輝かしい人間像として、私の脳裏には焼きついている。
●昭和51年7月9日、横山重先生は、次のような、お手紙を下さった。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
法大の近藤先生、御死去と。エライ先生、世に知られずして、御逝去。されど、ゴク少数の学徒を導き玉ひし。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
●ゴク少数の学徒の中には、今回、『近藤忠義 人と学問 第二集・第三集 合併号』を執筆・発行された、島本昌一氏が当然含まれるのであろう。この度の貴重な記録を著わされた、島本氏に対して、心からの敬意を捧げる。

★本書の詳細 → http://www.ksskbg.com/sonota/shin.htm

■『近藤忠義 人と学問 第二集・第三集 合併号』

■近藤先生の創刊された、法政大学の『国文学誌要』第1号

■『日本文学原論』藤村作 とあるが、近藤先生の著書