『長斎記』の校正

●『仮名草子集成』第49巻に収録の『長斎記』の校正が、ようやく終った。途中、風邪のため中断して、長引いてしまった。
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一 昔三宅長斎と云者有。生国は近江の片田の人也。小笠原監物と云人之所に有之時、俗名は三郎左衛門と云う傍輩に、そくわんと云う者有。長斎貧成事を嘲、一首、
 名字をば三宅といへど家ひとつもたで三郎人ぞおかしき
長斎、返哥に、そくわんもすりきりはてたるを、おかしくおもひ、
 やくわん屋が大津が大津でたたくおと聞はそくわんそくわんとなるぞおかしき
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●これは、この作品の冒頭の一段。三宅長斎は、近江片田の人で、小笠原監物吉久(清須城主松平忠吉の臣下)・本多豊後守康重(岡崎城主)・徳川義直尾張藩祖)に仕えた細工人だという。狂歌・軽口などを創る、御伽衆のような存在だったらしい。近世初期の仮名草子作品は、一見やさしい読み物のように思われがちであるが、その作者は、かなりの知識人、現在の私などが、一読しても、即、笑えるような低レベルのものではない。
●それにしても、この貴重な写本を判読して、校訂してくれた、若い研究者の情熱には、頭が下がる。感謝、感謝。

■『仮名草子集成』全70巻

■今後、収録予定の作品群