『重友毅著作集』 全5巻 の頃 

●重友先生から、著作集の件で相談を受けたのは、昭和44年であった。先生が69歳で、法政大学の講師を辞任された年である。長年、日本文学研究会の事務局を置いて下さり、『文学研究』の発行所でもあった、文理書院から、重友先生の論文集を出版したいと打診があった。重友先生と文理書院と常任委員とで協議し、先生の著作集の形式を採ることにした。

●『重友毅著作集』全5巻
第1巻『西鶴の研究』昭和49年2月発行
第2巻『芭蕉の研究』昭和45年11月発行
第3巻『近松の研究』昭和47年4月発行
第4巻『秋成の研究』昭和46年5月発行
第5巻『近世文学論集』昭和47年9月発行

●6年間にわたる仕事であった。この間、私は、全面的に先生に御協力申し上げた。先生は、大正13年(1924)東京帝国大学を卒業された。以来、続けてこられた研究の中から、厳選して5巻に編成することにした。また、新たに書き下ろされた論文も多く、22点に及んだ。これらの新原稿は全てコピーして、原物は出版社に渡し、コピーは私が保管して万一に備えた。

●昭和48年8月、重友先生から、著作集、最終配本『西鶴の研究』の原稿脱稿の知らせを頂いた。
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「・・・さて、その原稿ようやく二、三日前に脱稿、多少の手入れをして文理へ渡しました。文理では、これからすぐに取掛り、年内には一応出来上る予定であるが、販売政策上、売出しは来春一月下旬か二月上旬にしたいと申しております。
まだ「はしがき」は渡しておりません。それらはこれからゆっくり書き上げます。執筆を終ると、何しろ数年来の仕事との別れで、さすがにホッとすると同時に、いささか放心状態でおります。知らぬ間に疲れも重なっているので、しばらく休養を取るつもりです。
とりあえず、御礼かたがた右まで申上げます。そのうち、お目にかかりましょう。お大切に 怱々 
                     八月二十日    重友  毅」
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●『重友毅著作集』完結は、昭和49年2月、その7月には、先生を祝福する『日本文学の研究――重友毅博士頌寿記念論文集――』が刊行された。この時、先生は75歳であった。この後、先生は、志賀直哉の研究を続けられ、78歳で御他界なされた。私は、生前に依頼された『志賀直哉研究』の原稿を整理して、を笠間書院から刊行して頂いた。重友先生の、見事な、研究人生であった。

■重友 毅 先生