二本松 → 酒田 → 長井

●29日、30日は、二本松の斎藤親盛一家のお墓にお参りをして、酒田へ行き、上日枝神社の藤井恒明宮司様にお会いして、「齋藤筑後守記念碑」の拓本を作成した。その後、長井の斎藤家へ伺い、新規に造った仏壇に香を捧げた。

●朝、東京駅で、昭和女子大の承春先先生と待ち合わせて、つばさ133号で10:08発、車中、承先生から、中国書道の世界について、貴重なお話を伺う。11:50、郡山着。斎藤氏御夫妻と合流、斎藤氏の愛車セルシオで二本松の松岡寺へ。須賀川斎藤家の墓石の発見に伴う、第三次改葬の墓所へお参りして、「齋藤一葉墓」の墓石を拝見した。この斎藤家の墓所の最初の姿は、私は拝見していない。昭和44年に第一回目の改葬が行われたためである。平成4年に第二次改葬が行われた。この時は、全日程、私も参加して、調査させて頂いた。平成10年11月、須賀川斎藤家の斎藤一葉の墓石が発見され、平成12年5月に第三次改葬が行われた。これで、光盛を第一代とする斎藤家の墓は、ほぼ、整った形となり、後世へ伝える事になった。研究が進むに連れて修正しなければならない点もある。これに関しては、墓誌の余白に「修正」を補刻することになった。文案は斎藤豪盛氏が作成して、私が確認し、承先生に清書して頂き、刻字する予定。

●30日は、早朝、5時30分、ホテルリッチを出発、上日枝神社境内の「齋藤筑後守記念碑」の拓本の作成を行った。承先生が手作り用具を使用して、慎重に進められた。2枚作った段階で、太陽の陽射しが強くなり、ここで、終了した。その後、藤井宮司様としばし歓談し、長井へ向かった。私は、朝3時に起床し、承先生の助手をつとめたので、疲労し、車中は眠り続けた。

長井市の斎藤家で、新しく作製した仏壇に拝礼し、香を手向けた。新しい仏壇は、三段になっていて、上段に、先祖代々の霊、第一代光盛、第二代広盛の三基の位牌が納められ、中段には、第三代親盛以下の諸霊を記す、大きい位牌が配され、下段には、それ以後の、代々の位牌が立ち並んでいた。御先祖様を尊ぶ第13代豪盛氏の心を思い、私も感謝申し上げた。

●私の研究対象は、第3代親盛・如儡子である。だから、その父も、その母も、祖父光盛のことも、解明しなければならないのである。如儡子の子、四代秋盛以下は、検討しなくてもよい、という姿勢では、より精密な伝記研究にはならないだろう。

●承春先先生、藤井恒明宮司様、斎藤様御夫妻、の御厚情に感謝する。

■新しく発見された、斎藤一葉の墓石

■斎藤家墓所

■拓本作成中

■記念碑の前で

■美しい緑に囲まれた記念碑

■新しい仏壇