如儡子の末裔の活躍

●私が如儡子の伝記調査を開始して、斎藤家第13代豪盛氏に、初めてお会いしたのは、昭和62年8月6日であった。斎藤家の菩提寺・松岡寺に参り、斎藤家の墓所に立ち、ここから、調査が始まった。この時、斎藤氏は白の愛車セルシオを運転して、二本松→米沢→長井→鶴岡→酒田、と、日本列島を横断して案内して下さった。この時、斎藤氏の友人、渋谷氏も同行してくれた。渋谷氏は米沢藩の家老の末裔とのことで、家老クラスの生活のレベルも教えられた。

●斎藤氏は、米沢工業高校の卒業であるが、父親の後を受けて、積極的に会社の拡大に努めた。金型では優秀な技術を誇る社員を養成し、その製品の販路拡大にも努力した。昭和45年頃、販路を外国に求めアメリカに単身で売り込みをかけた。英語は話せないが、日本大使館員に協力してもらったという。ゼネラル エレクトリック(GE)の担当者も、斎藤氏の迫力と、サンプルの優秀さに納得して、取引を開始してくれたという。まだ、まだ、日本の企業の交流の少ない時期である。斎藤金型は、昭和52年当時、GEとの間で、年間500万ドルの取引実績を上げたという。この時、斎藤氏と交渉に当った、電子部品 国際調達担当部長のジェームス C グレイ氏とは、以後、家族ぐるみの付き合いをしておられるとのことである。斎藤豪盛氏は、私より1歳下の生まれであるが、如儡子の末裔としても、また、現在を生き抜く姿勢としても、私は尊敬している。

■斎藤豪盛氏の印

■GEの担当者