久米邦武の書庫

●私は、大学2年の夏休み、目黒の久米邸でアルバイトをした。佐藤秀工務店が久米邸の工事をしていたからである。毎日、灼熱の中で、現場の清掃や監督さんの助手をしていた。休憩には、お手伝いさんが冷たい飲物を出してくれた。そんなある日、久米様の奥様が、深沢さん、お茶を差し上げましょう、と、作業服の私を家の中に入れて下さった。床の間の掛軸を見て、私は驚いた。タンニュウですか? はい。何と狩野探幽の軸であった。

●お茶を頂きながら、日本文学を専攻していて、卒論には仮名草子の『可笑記』を選択することにした。ただ、『徳川文芸類聚』『近代日本文学体系』が入手困難で困っている、などと現状をお話した。深沢さん、あの建物が祖父の書庫です。どうぞ、自由に御覧になって下さい。必要な本はお貸ししましょう。私は、日を改めて、半日かけて、書庫を調べさせて頂いた。歴史関係や洋書も多く、まるで、大学の図書館のようであった。しかし、『徳川文芸類聚』も『近代日本文学体系』も無かった。鄭重にお礼を申し上げて辞去した。

●それから、毎日、毎日、上野図書館へ通って、『可笑記』の本文を書写した。大学ノート8冊に書写完了。同時に久米様に手紙で御報告申し上げた。その後、歴史関係の文献を読んでいて、2人の歴史家に出会った。津田左右吉と久米邦武である。もしや? と思って、久米様に手紙で問合せたら、久米邦武は祖父です、という御返事を下さった。何と、私は、あの歴史学者・久米邦武の書庫に入れて頂いたのだ。このような、幸運も、人生の中にはある、そう感謝して、卒論に取り組んだ。昔、昔の思い出である。

■久米邦武


■『徳川文芸類聚』第2巻 教訓小説