富士川下り 26日 スタート

  祝 富士川下り
●今日の朝日新聞に、山梨県身延町の「富士川下り」が100年ぶりに復活することを報じている。この記事を読んで、NPO富士川下り研究会」の地道な活動の詳細が初めてわかった。地域活性化への大きな一歩になるだろう。しかも、徳川家康が幕府直轄地の富士川舟運を始めたという歴史的背景もあり、これは、歴史的文化の復活でもある。昔ながらの木造の舟を製作し、全国から練達の船頭さんに参加してもらい、安全第一を掲げて、富士川の川の中から、美しい自然の景観を楽しんでもらうという計画。いよいよ、26日にスタートする。

●私は、この富士川を目の前にして育った。日本三大急流富士川で、小学・中学・高校と泳いで楽しんだ。今、故郷の力強い活動に心を動かされている。小学校6年の、体操の時間に、全員で水泳に出掛けた。私は、この時、急流のウズに巻き込まれ、気絶して川底に沈んだ。助けてくれたのは、担任の赤井三男先生である。先生が岩の上の私を人工呼吸で蘇生してくれなかったら、今の私は無い。感謝、感謝。

朝日新聞、4月24日の記事は以下の通り。
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富士川舟運、100年ぶり復活へ 観光川下り舟で 山梨

地元住民らを乗せ、富士川を試験運航する川下り舟=20日、富士川町鹿島
 江戸時代から明治にかけて山梨の物流の主力だった富士川舟運が今夏、約100年ぶりに「復活」する。流域住民のNPO富士川下り研究会」(事務局・山梨県身延町西嶋)が、観光の川下り舟を就航する。ルートは富士川町から身延町までの約5キロ。メンバーらは「峡南地域の活性化に」と意気込んでおり、就航を前に25日、セレモニーを開く。

■峡南高OB、活性化願いNPO結成

 NPOは2009年11月、峡南高校土木科を1962年3月に卒業したOB7人が結成した。

 NPO会長で元旧中富町収入役の深沢勝さん(69)=身延町=らは、高齢化や過疎化が進む周辺地域の元気のなさが気になっていた。仕事をリタイアする時期を迎え、仲間同士で「地元のために何かできないか」と思い立ったという。

 泳ぐなど子どものころから慣れ親しんできた富士川に着目。かつて舟運で栄えた歴史的な経緯から、川下り観光船の事業を始めることにした。

 航路は川が蛇行し、ゆったり流れるコース。富士川町鹿島の鹿島橋左岸を出発し、身延町西嶋の峡南橋右岸(町なかとみ和紙の里付近)まで約40分で下る。運航は、NPOが設立した「富士川舟運株式会社」(身延町、望月熊太郎社長)が担う。

 舟は全長13メートル、幅2メートルで、38人乗りの和舟3隻。航路の流域自治体名をとり、「富士川丸」「市川三郷丸」「身延丸」と名付けた。船頭2人が操船する。

 船頭は6人おり、長野県・天竜川での経験約40年のベテラン1人をスカウト。未経験者には天竜川や富士川で研修を積ませてきた。航路の水深は最大1.5メートルほどだが、梅雨の増水期に操船技術を磨く。そのうえで梅雨明けの7月上旬ごろ、客を乗せた運航を始める。

 川下りでは、乗客全員がライフジャケットを着用。各自に座布団型の救命具を備え、安全面には念を入れるという。

 4〜11月は1日3便、12〜3月は2便を出す。利益が出た段階で必要資金を除き、流域に桜や紅葉する木、季節の花を植えるなど、景観の保全・形成に使うという。

 「地域に育てられた身として、ぜひ最後に貢献したい」という深沢さん。「ゆったりと流れる富士川を、のんびりと楽しんで」と話している。

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 料金は大人2200円、子ども千円(土日祝日は大人300円、子ども250円増し)。問い合わせは、富士川舟運(0556・27・0194。午前8時〜午後5時、火曜定休)。(岩城興)

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 〈富士川舟運〉 1607年、徳川家康の命で富士川が開削され、鰍沢など甲州三河岸と駿河・岩淵の間約70キロを、下りは半日で結んだ。積み荷は「下げ米、上げ塩」と言われ、主に下りは甲州や信州の年貢米を、上りは塩など海産物を運んだ。約300年間交通の大動脈となり、明治中期には人の往来も増えて最盛期を迎えた。しかし明治末期に中央線が開通すると輸送の主力は鉄道になり、衰退した。
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朝日新聞 4月24日