『井関隆子日記』 の原本

●田中幸光氏の「二葉亭餓鬼録」、2012年3月2日の条は「動乱の幕末期を描いた井関隆子の日記」である。大変長文のものである。
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「井関隆子の日記。
幕末の時代に、オランダ人との交渉を書いた文書を読む過程で、ぼくは、そのころの時代を記録した「井関隆子日記」という書物があることを知った。
これはドナルド・キーン氏の書いた「百代の過客」を読んでいて知ったものである。井関隆子の日記は、昭和47年(1972年)、深沢秋男氏によって発見され、それまで、この日記の存在はまったく知られていなかったというのだが、その6年後、深沢秋男氏は注釈つきの3巻本として出版。それで知られるようになったという。
しかし、出版はしたものの、世に注目されることはなかったらしい。
ところが、これに注目したのはドナルド・キーン氏だった。
これは興味深い日記で、幕末期のドキュメントとして、馬琴の日記とくらべてみると、その文学的な価値は、それよりずっと凌駕しているという。
ぼくは、そういう側面から読もうとはしなかったけれど、幕末期の日本をもっと知りたいという動機から、この本に注目した。
隆子が日記をつけはじめたのは、天保11年(1840年)から15年までで、彼女が56歳から60歳までのあいだにつづられたものである。日記の最後の日付けから3週間後に彼女は亡くなっている。
天保年間における日本人の暮らしを呼び起こしてくれる史料としては、たいへん貴重なもので、この日記の原本は、関東大震災で消失してしまい、明治になって饗庭篁村らがつくった抜粋版によるしかなくなった。それにしても、この抜粋版がつたえる文章は、とても興味深い。」
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●このように書き始められていて、有難いのであるが、『井関隆子日記』の原本に関して、次のように記されている。
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「隆子が日記をつけはじめたのは、天保11年(1840年)から15年までで、彼女が56歳から60歳までのあいだにつづられたものである。日記の最後の日付けから3週間後に彼女は亡くなっている。
天保年間における日本人の暮らしを呼び起こしてくれる史料としては、たいへん貴重なもので、この日記の原本は、関東大震災で消失してしまい、明治になって饗庭篁村らがつくった抜粋版によるしかなくなった。それにしても、この抜粋版がつたえる文章は、とても興味深い。」
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●私の認識では、『井関隆子日記』の原本、自筆写本、全12冊は、現在、昭和女子大学図書館の桜山文庫に所蔵されている。「饗庭篁村らがつくった抜粋版」が伝存するならば、是非、閲覧したいと思う。

■「二葉亭餓鬼録」、2012年3月2日の条