『井関隆子日記』の再評価

●今日は、嬉しい論考を頂いた。真下英信氏の「『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり」(『慶應義塾女子高等学校研究紀要』第29号、2012年3月刊)である。真下英信氏は、『ペリクレスの演説』・『伝クセノポン「アテーナイ人の国制」の研究』『古代ギリシア史論拾遺』などの著者である。その、真下氏が、これまでも『井関隆子日記』に関して、優れた論文を発表してこられたが、今回、また、新しい御研究の成果をまとめられた。【引用にあたり、原語と注記を省略した。】

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はじめに
“日は落ち全ての道は次第に暗くなっていった"。これは古代ギリシア叙事詩ホメロスの作品『オデュッセイアー』で七度繰り返されている一行である。筆者は夕暮れ時に散歩すると無意識にこの詩句を口ずさみ,楽しくも刺激的であったギリシア語の授業を時折思い出す。昔,辞書を引きながらホメロスの原典を読み始めた時,この一句から強烈な印象を受けたからである。その理由の一つはたわいもないことで,この詩句が現れると辞書を引くことなく容易に一行進めた喜びであった。アオリストと未完了の絶妙な対比にも魅せられた。また,主人公が海の真っただ中を航海しているときにもこの一句が使用されているのに何とも言えぬ奇妙さに襲
われたからでもあった。道はどのように整備されていたのかを考えるのも楽しかった。
 ホメロス叙事詩とは成立年代も文学形態も全く異なるとは言え,『井関隆子日記』を読むと同じく繰り返し現れる語句があることに人は気付く。多少の変型があるが,“己が幼かりし頃"との一句である。これらの語句は,5年間にわたって綴られた日記のなかでも特に最初の1年,天保11年に多用されている。この語句の繰り返しから我々は彼女の日記のどのような特質を読み解くことが出来るのかを検討するのが本小論の目的である。結論として,隆子は日記を綴るにあたり常に人間ひいては自然の本性を書き留めることに努めており,この態度は5年間不変であった。変わったのは彼女が生きていた時代そのものであり,それ故に彼女が綴った日記は秀逸なる歴史書と見なせるのではないか,との主張がなされるはずである。
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おわりに
 ツキディデスの『戦史』を一読した者なら誰しも,己の時代を未来に伝えるべく日記を綴るには自己自身の営為の確立すなわち現在への犀利な洞察があればこそ可能となる,との思いを強くするのではなかろうか。隆子は政治的亡命を余儀なくされる事もなく四季折々の変化と家族団梁を楽しみながらも日常性に埋没することなく,その背後に潜む社会の実態を鋭い眼で客観的に記述した。かかる洞察力なくしては過去並びに現在の記述は単なる懐古趣味に堕す。人間の本性に照らしあわせて過去と現在を綴ろうとした隆子の姿勢はまさに歴史家のそれと言ってよい。それ故に,『井関隆子日記』は秀逸なる文学作品であると同時に幾多の重要な史実が記載されている優れた歴史書であると評価出来る。    (2011.11.24)
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●引用が長くなったが、真下氏の論文は、推敲に推敲を重ねられた、濃密なもので、簡単に引用出来ない。このような研究に出合った、井関隆子は幸せ者である。私などには、とても到達できない、作品の深奥である。私としても、心から感謝申し上げる。

■真下英信氏「『井関隆子日記』理解の一つの手掛かり」(『慶應義塾女子高等学校研究紀要』第29号、2012年3月刊。