福寿草 と 雪割草

■『井関隆子日記』天保11年1月10日
「我が鹿屋園(かやぞの)より、垣ごしに隣を見れば、雪わり草とか、大きなる陶物(すえもの)どもに植たるが、紅・紫、はた白きなど、なつかしげに咲けり。こは殊に佐渡の嶋なるが愛たしとて、親賢が植たるなり。いかでさるあらき嶋ねに、かうらうたげなる花の咲くらむ。はた、福寿とかいへる艸も、かたへに咲きならびたれど、佐渡のが目うつしには、たち並ぶべくもあらず、おとりて見ゆ。すべて、草の花をめでて、ここら植えつれば、四つの時、をりをりの花どもたゆる事なし。」

●隆子は、離れの自分の住いの前庭を〔かやぞの〕と名づけて、四季折々の草花を植えて楽しんでいる。その隣には垣根があって、母屋の庭があり、そこに、子の親経や孫の親賢が、盆栽の松などを植えて楽しんでいる。その庭に、親賢が佐渡から取り寄せた雪割草が、今、咲いている。旧暦1月10日は、今の2月初旬くらいだろう。その雪割草の紅や紫色はみごとで、このように美しい花が、どうして、あの荒々しい佐渡の島に咲くのだろう。また、その傍らに福寿草が咲いているけれど、佐渡の雪割草の目移しには、比較すべくも無い。隆子は、自分の花園に、春夏秋冬、花が絶えないように植えて、季節の移り変わりを楽しんでいた。

■雪割草 ネット より



■我が家の 福寿草