恩師からの プレゼント

●今日、大きな荷物の宅急便が届いた。小学校の恩師、赤井須磨子先生からのものであった。須磨子先生の御主人は赤井三男先生、私の原小学校の5年担任が須磨子先生、6年の担任が三男先生である。赤井先生御夫妻は、その後、東京へ出て、教員生活をされて、御主人は、校長先生として長年、御活躍なされた。

●須磨子先生は、小平市立小平第十小学校の第10回卒業生へのメッセージを次のように書かれた。〔やんちゃな少年〕とは、私のことであると言う。大変名誉なことであり、感謝にたえない。

■『あしあと』小平第十小学校 第10回卒業生 75年(昭和50年)
「  巣立ち行く子らへ         赤井須磨子
 今から二十数年前、私は山梨の片田舎で、やんちゃでのんびりした、五年生の一少年を教えた。家も貧しく両親にも早く死に分かれた少年の、その後のことはあまり知らなかった。
 十数年後、「大学をおえ、今、古い書物の研究に興味をもっています。」といって、小冊子を送ってくれたことがあった。その後も何回か小冊子を手にした。
 昨年末、同級会に招かれ、彼に会った。その時、研究の結晶であるという、大変立派な本を贈呈された。私にはむずかしくて、あまり内容はわからないものであった。
 しかし、昔のあの少年が、よくここまで頑張って勉強したものだ。偉いものだ。と思うと共に、感動で私の胸はいっぱいになるのだった。
 小学校を巣立ち行こうとしている、皆さんの前途には洋々たる未来がある。何か一つの目的をめざしなさい。一日一日の生活を大事にして、悔いのない人生を送ってほしいと切望している。」

●小学校5年の時、悪童の私は、イタズラをして須磨子先生に教員室に呼び出された。「秋男の姉さんと私は同級生です。こんなイタズラをしたら姉さんが悲しみます。」そう言って、人差し指で私の眉間を突いた。姉のことを持ち出されて、私は心の底から反省した。こんな事がきっかけで、勉強するようになったのだと思う。須磨子先生の、この文章を拝読して、涙があふれる。

■『あしあと』75年(昭和50年)

■巣立ち行く子らへ    赤井須磨子先生