感覚と実証と、理系論文と文系論文

■ 宣長の『手枕』は『源語』に「もののあはれ」を見出すという大きな、一つの発展を研究史上に残した作だけに、「空蝉」と「夕顔」の間に差し挟んでも、その不自然さなど、私には全く解らない。この短い作品の中に「あはれ」という言葉が、十八ヶ所も使われているが、これは、同じ宝暦十三年に『紫文要領』を著している宣長として、あるいは当然の事と言ってよい。
 宣長は「あはれ」を「見るもの、聞くもの、ふるる事に、心の感じて出づる嘆きの声」であると『源氏物語玉の小櫛』で言っている。また『源語』は「もののあはれ」を知らせる事を主眼として書いたものである。この作品を勧善懲悪のためだとか、好色の戒めであるなどと言うのは誤りである。物語を読んで、心の動く事はあっても、どうして、好色の戒めになる事があろうか、とも言っている。・・・
 「もののあはれ」とは、対象に触発されて、起こる感情内容であり、美的なものに対する美意識、美的感情である。これが形象化されて、『源語』という文学作品が生まれた、と説いている。これは、『源語』研究史において、特筆すべきことである。 ■

●これは、私が大学4年の時、秋山虔先生に提出したレポートの1部分である。その後、文学研究にもコンピュータが利用され始めて、『源氏物語』の文体と宣長の文体を比較して、大きな違いがある事が判明した。駆け出しの文学青年の感覚など、あてにはならない。

●また、ある時、私は、仮名草子の『女式目』と『儒仏物語』の関係を考察していた時、この版下は同筆である、と推測し、例の大学の近くの喫茶店で、副学長の岡村先生にお話ししたところ、理系では、筆跡鑑定書を添付しないと認められない、と申された。私は、筆跡鑑定者を探した。現在では、警視庁や埼玉県警などの鑑識課をリタイアした方が、開業している。数人に問合せたが、いずれも、多忙の由。莫大な財産贈与などに関する注文が多く、私のような貧乏研究者の求めには、なかなか応じてはもらえないのが実状のようである。仕方なしに、両者の筆跡を並列・比較して、自説の推測を出しておいた。

●寸法測定は、常温で行うと教えられて、物差と定規の違いとか、メートル原器について話し合ったり、実験のプロセスや、理系論文と言えども、想像力が大切であるとか、研究のテーマは、幹だけでなく、いくつかの枝葉にも注意し実験を進めるとか、研究水準の把握に関する手順とか、本当に、様々な事を教えて頂いた。それらを、私は、自分の研究に改良して活用してきた。

■『女式目』と『儒仏物語』の版下

■『堪忍記』の成立時期

●岡村先生は、昭和女子大学を平成15年定年退職されたが、1月29日にオーロラホールで、記念講演が行われた。その時、出席者に配布されたのが、『皮革の消費科学』という御著書である。先生は、この研究に、2000枚の皮を使用したと申され、ゆえに、中途半端な研究結果では申し訳ない、と申された。先生の御研究の厳しい姿勢を痛感した。

■、『皮革の消費科学』2003年1月、皮革工業新聞社発行