小学校の恩師

●今日は、小学校の恩師の御宅へお伺いした。何年ぶりかで、恩師、赤井先生御夫妻とお会いして、小学校時代の温かい御指導に対して、心からの御礼を申し上げた。小学5年の時の担任が奥様で、6年の時の担任が御主人の赤井先生である。この頃の私は、大変な悪童で、赤井先生には、何度も往復ビンタをもらった。しかし、少しも恨んではいない。それだけ、自分がワルサをしたのだから、恨む理由が無い。ある時は、「お前は、もうこれ以上、原小学校では、面倒見切れない。隣村の切石小学校へ転校させる」と宣告された。廊下に両手をついて、涙を流して、2度と悪事はしません、と許しを請うた事もあった。

●しかし、5年生の石田先生(奥様)と6年生の赤井先生に、御指導頂かなければ、今の私は無かったと思う。いくら感謝しても、感謝し足りない位である。改めて、小学校6年の時の成績通信簿を見て、驚く事が多い。担任の赤井先生は、次のように書いて下さった。

◎1学期、発表ヲ好マズ、女性的ニシテ授業中特ニ活気に乏シ。極めて子供は内気にして、女性的な所がみうけられます。男らしいハキハキした子供になるべく御指導下され度し。
◎2学期、活発なる学習を望む。各科共成績向上の兆みゆ。明朗活発なる気持に漸次移って参りました。発表も次第に旺盛になることと思はれます。成績もこの分では著しく向上するものと思はれます。是非とも今の気持を持続させて益々努力するよう御鞭撻下さい。
◎3学期、成績向上顕著なり。顕著な成績向上をみて定めし、御父兄にもお喜びの事と思ひます。
◎学年末、学業全般に亘り佳良なり。子供は実に克く活躍して参りました。子供の家庭での躾が斯様な立派な成績を揚げる素因となった事と思ひます。何卒、新学 期には益々努力させて勉学するよう御指導下さい。

●5年までは、60人クラスの中間辺りをフラフラしていた私の成績が、六年の学期末に、どうして7位くらいにまで上がったのか。赤井先生の往復ビンタの為か、転校1件の故か、あるいは、5年生の7月に父親が急逝したためか、理由は良くは分からない。ただ、私は、学校の勉強の予習・復習をするようになった。

■私の卒業した、原小学校

■小学校6年の成績通信簿