久し振りの会話

●昨日は、池袋へ出て、久し振りにイギリスの若い日本文学研究者とお会いした。彼は熱心な研究者であり、現在は、日本の書籍目録の記載内容・様式を通して、主として日本近世文学のジャンル別の流れを明らかにする事に取り組んでいるという。オリジナルの資料は、大部分が日本にあるので、来日も多いらしい。その研究姿勢は誠実で敬服に値する。

●ところで、ヨーロッパの研究の動向で、文学と歴史の問題に話題が及んだ。彼の言うところによると、ヨーロッパでは、文学に歴史的な著作を含める説が出ているという。英語と日本語の会話であり、私の語学力不足で、確たることは断言できないが、この意見には、少々驚いている。私など、長年、仮名草子を研究してきて、この複合ジャンル的性質をもつ仮名草子作品群の処理に悩んでいる。如何にして、実利的な著作を文学的な著作から分離して、より文学的な〔仮名草子〕に近づけるか、という処理もその1つであり、これは、この話題とも関連する。

●文学と歴史の関係は、今は、異なる分野という事になってるが、大槻文彦の『大言海』では、歴史は文学の中に入っている。

「・・・(五)〔英語、Literature.ノ訳語〕人ノ思想、感情ヲ、文章ニヨリテ表現シ、人ノ感情ニ訴フルヲ主トセル美的作品。即チ、詩歌、小説、戯曲、又、文学批評、歴史ナドノ類ナリ。・・・」

●しかし、現在は、文学部日本文学科、日本歴史学科、のように分離されているのが通例である。面白いと思った。そして、彼はイギリスの大学で日本文学を教えていて、日本文学の研究論文を発表しているが、論文のスタイルも、日本とヨーロッパでは、やや異なるところがある、と言われた。ドル・ユーロ・円・元・・・なども為替レートの問題と同様に、文学研究も、自然科学のように、1物1価の方向に進む必要があるように思った。

大槻文彦『大言海』 「文学」の項