筑後守廣盛の記念碑建立 荘内日報 2011年10月24日

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斎藤家長年の悲願 酒田へ回帰  お帰りなさい―。江戸時代初期、酒田・亀ケ崎城代に仕え、川北奉行などを務めた斎藤筑後守廣盛(1568年―没年不詳)の記念碑が、酒田市の上日枝神社(藤井恒明宮司)の境内に建立され23日、関係者が集まり式典と祝賀会が同神社で行われた。
 廣盛は1603(慶長3)年から22(元和8)年にかけて、当時酒田を治めていた最上家の重鎮で亀ケ崎城代だった志村光安・光惟父子に仕え、川北三奉行の一人として酒田の行政の礎を築くなど活躍。同年、最上家の近江への転封に伴い浪人の身となり、間もなく越後で没したとされている。
 記念碑建立は、斎藤家13代当主で会社役員の豪盛さん(75)=長井市ままの上=が企画。廣盛は、亀ケ崎城内に祭られていた上日枝神社に朝夕と仕えていたと伝えられていることから、神社境内に建立することになった。「斎藤家にとり、酒田を後にしてから庄内への回帰は長年の悲願だった」(豪盛さん)という。
 記念碑は福島県産の山崎石を使用し、高さ約2・6メートル。碑文は、廣盛の長男で「可笑記(かしょうき)」など多くの仮名草子を残した親盛(生年不詳―1674年)を長年、研究している昭和女子大名誉教授の深沢秋男さんが撰文、同大講師の承春先さんが揮毫(きごう)した。初代の光盛から廣盛、親盛を経て現在に至るまでの斎藤家の歴史がつづられている。
 式典には、斎藤家、神社などの関係者ら約50人が出席。祝詞奏上などに続き、豪盛さんらが神前に玉ぐしをささげた。阿部寿一市長が「酒田の安全・安心を見守ってくれる、新たな拠点が完成した」とあいさつ。豪盛さんは「建立を通し、この地がますます発展することを祈念する。無事に建立できたことに深く感謝したい」と述べた。

■荘内日報 2011年10月24日

■記念碑の前の 齋藤家13代豪盛氏(羽織袴姿)
 左は、豪盛氏の弟、齋藤惣逸氏