純粋培養

●10月3日から10日まで7日間、テレビ・新聞も見ていない。日本や世界で何があったのか、全く分からない。身辺では、医師・看護師、その他の各係の声、治療関係の知識だけが飛び交う。私にとっての、関心事は手術になるか、手術せずに済むか、という事である。

●このような、外界との遮断は、昭和女子大学の東明学林の宿泊研修を思い出す。この研修も特異な体験で、特に学生は、当時は携帯も無く、テレビ・新聞もホールで共同で見るのみ。目に入り、耳に聞えるのは、大自然の様子、雄大な富士山の姿、眼下に広がる小田原の夜景、虫の音、風の音・・・。あとは教師や友人との語らい、交流。

●私は、この研修学寮の、食事の時の「感話」で「純粋培養」と題して話したことがある。大量の情報が、人間を襲う現代社会にあっては、それらから断絶して、自分自身を見直すよい機会ではないかと思った。余分な情報に振り回されず、自分を見つめる。

●外界から断たれた、今の私の関心事は、病状のほかには、現在、進行中の『近世初期文芸』第28号と、『芸文稿』第5号に発表する論文や随想のことであり、今月、酒田で行われる「齋藤筑後守記念碑」建立のことである。しかし、病院のベッドには、関連資料も無いし、パソコンも無い。妻に届けて貰った、各草稿の推敲のみであり、あとは、これから発表するものの素案をメモする事くらいしか出来ない。

●このような経験は、初めてである。老境に入った研究者の書いたものを読んで、何かを感じた事があったが、あるいは、こういうことか、と思った。事実の裏付けが、とかく不足しがちなものになる。

■東明学林 から眺める富士山  昭和60年、ニコンF3