母からの贈り物

●10月3日、「仮名草子集成」第48巻の初校校正中に腹痛を感じ、用心するに越したことは無いと、3時過ぎに、さいとう内科クリニックへ行った。若先生に診てもらったところ、腸閉塞の疑いがあるということで、石心会狭山病院への紹介状を書いて下さる。狭山市の病院へ行くと、即、入院。主治医SU先生、担当看護師GO氏。

●3日〜6日と、4日間は、毎日、24時間連続の点滴。8日点滴終了。ようやく食事が出た。SU先生はじめ、多くの医師や、GOさんはじめ、多くの看護師の方々に、大変お世話になった。6日の木曜日に、さいとう内科クリニックの斎藤先生が、見舞いに来て下さった。これは、嬉しかった。私への見舞いは、妻(1回)と息子(3回)のみ。

●昭和57年4月22日、急激な腹痛に襲われ、斎藤内科へ行くと、斎藤先生(大先生)が、国立西埼玉病院に紹介して下さり、即入院、手術となった。外科医の大久保先生の執刀。虫垂炎であったが開腹してみたら、腹膜炎を併発、さらに大腸の癒着が多いので、ついでに切り離して下さった。3時間か4時間か、とにかく長時間の手術となり、大久保先生は、途中でタバコを吸って、いっぷくしていた。この時は2週間くらい入院した。

●この大手術のためか、20数年後の、平成17年6月30日、夜中の2時に腹痛に襲われ、妻の車で埼玉西協同病院へ行き、診てもらったが、この時は、幸い手術には至らず、処置室で回復し、その日の正午、帰宅できた。

●実は、この私の大腸の弱点は、母からの遺伝ではないかと、ひそかに思っている。母は私が22歳の時に腸捻転で他界した。郷里の飯富病院で、最期の時、昭七・秋男が天井を駆け回ると叫んで、息を引き取ったという。

●末っ子で、自己中心の私は、父のことも、母のことも、兄のことも、姉のことも、御先祖様のことも、余り関心が無く、この点、申し訳ないと思うが、この腹痛に襲われると、母を思い出し、海よりも深く、山よりも高い、母の愛を心に刻む。

■石心会狭山病院

■10月11日の予定