酒田 上日枝神社

●上日枝神社(かみひえじんじゃ)
貞観17年(875)近江国坂本鎮座山王宮(日吉大社)を勧請し、酒田港に神幸し、袖の浦に御旅所を構え鎮座した。後、御城内(亀ヶ崎城)に奉遷され、寛永13年(1636)より現在地に移された。現社殿の本殿は天保12年(1841)に、拝殿は明治18年(1885)に再建され、通称「上の山王さん」として広く市民に親しまれている。(参拝自由)
■現所在地 酒田市浜田一丁目10-27

●祭神は、大己貴命(おおむなちのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)、胸肩仲津姫命(むねかたなかつひめのみこと)の3柱。明暦2年(1656)の『酒田絵図』には「山王社」とあり、元禄9年(1696)の『酒田惣御町絵図』には「山王宮」とある。当時の場所は、近江町の中にあり、隣接して筑後町があった。筑後町は、川北三奉行の一人・齋藤筑後守広盛の屋敷があったと所と伝えられている。現在は相生町となっている。上日枝神社は、道路を隔てた浜田1丁目にある。

●齋藤筑後守広盛は、最上家の家臣として、酒田に居住し、川北三奉行の一人として活躍したが、元和8年、山形藩57万石が取り潰されて、この時に最上家を辞し、酒田の地を去った。


■上日枝神社(かみひえじんじゃ)


■元禄9年(1696) 『酒田惣御町絵図』
C=近江町 D=日枝神社 E=筑後

■昭和 酒田市街図

■昭和63年 酒田市街図