歌人 横山重

●今日、短歌雑誌『あかね』第27巻第5号、平成23年9月1日発行を頂いた。編集兼発行人の若宮貞次先生は、昭和22年(1947)に「アララギ」に入会され、昭和60年(1985)から『あかね』を主宰され、今日に及んでいる。御自分の創作活動と共に、『あかね』の選歌・編集・発行を継続されてきた。26年間、年6冊発行であるから、大変な活動である。

●私は、仮名草子研究を志した頃から、犬山におられた、横山重先生には、大変な御厚情を賜った。仮名草子作品の貴重な版本をたくさん所蔵され、駆け出しの私のような者にまで、御所蔵本の閲覧に御高配を下さった。横山先生の御高配と御指導がなければ、私の仮名草子研究の多くの部分が達成できなかったものと思う。今は無き先生に、いくら感謝しても、しきれないほどである。

●ところで、私が先生にお会いした時は、先生は慶應大学を辞され、専ら古典のテキスト作成に全力で取り組んでおられた。しかし、先生との長い交流の中で、時折、お手紙の中に、歌を詠んで書き入れて下さった。歌人か? と思った。

斎藤茂吉に「明治大正短歌史概観」「明治大正和歌史」「アララギ二十五年史」という労作がある。それによると、横山重先生は島木赤彦の歌の門人であった。そう言えば、先生のお手紙の中に、島木赤彦のことや、赤彦のお孫さんのことが何回か書かれていた。そのお嬢さんと、私に結婚しないか、という意味かと、一瞬、勘ぐったこともあった。斎藤茂吉は注目すべき新人として、横山先生の、次の歌を紹介している。

横山重
 このゆふべ桑原遠き杉の秀に居啼く鴉の声のきこゆる
 夕日さし山の麓は明く見ゆ冬木のなかの遠道も見ゆ
 春深き光かぎろふ笹群に吹き入る風をききにけるかも

 八ケ嶽頂の巌の見ゆるまで今宵の月は照りにけるかも
 雪かむる山を高みか月落ちていよいよ高く明らけきかも
 初夏の一夜を寒み蓼科の巌に白く雪は降りける

●島木赤彦から、短歌の手ほどきを受けた横山先生は、やがて、日本古典研究に転じられ、この方面でも大きな足跡を遺されて、昭和55年(1980)10月8日、85歳で御他界なされた。

●原秋津氏は、さる会社の社長だったが、横山重先生とは長い間、家族同様に交流を続けておられた。原氏は、横山先生が御他界の後、『横山重自傳(集録)』を刊行された。この本は、平成6年8月30日に発行されたが、私は、原稿段階から校正・発行まで、全面的に協力した。また、原秋津氏には、「横山重先生 ご終焉のころ」という原稿50枚があり、私は、これを託されているが、今後、どのように処置するか、現在、検討中である。

■短歌雑誌『あかね』第27巻第5号

■『斎藤茂吉全集』第21巻、昭和48年8月13日、岩波書店発行

■『横山重自傳(集録)』 原 秋津 編 平成6年8月30日発行

■『横山重先生 ご終焉のみろ』 原 秋津 著 原稿 50枚