「齋藤筑後守記念碑」
●今日、山形の斎藤氏から、「齋藤筑後守記念碑」の連絡があった。郡山の石材店に行って、記念碑の碑面に原稿を配置したら、バランスも良いと、写真を送ってくれた。石は墓所と同じ江持石にする予定であったが、今回の東日本大震災で採石場が危険になり、採石できないので、塩竈神社の記念碑と同じ、いわき市産の山崎石、色は青味黒色で、塩釜神社の記念碑と同じ石の由。碑面の大きさは、縦1650ミリ×横1005ミリ。とにかく立派な記念碑になりそうである。
●酒田の上日枝神社の住所は、現在は浜田になっているが、明治初期までは筑後町であり、ここに、川北奉行の齋藤筑後守の屋敷があったことから、この町名が付けられた。齋藤家三代目の親盛・如儡子は、この筑後町で生れた。しかし、元和8年(1622)に、山形藩57万石は取り潰され、広盛・親盛父子は、最上家を辞して浪人となる。一家揃って、長年住み慣れた酒田を去ったが、その心中は察するに余りあるものがある。
●酒田には、奉行当時の齋藤広盛の家来の子孫の方もおられ、現在の当主・齋藤豪盛氏は、酒田を大切にしてきた。今回、記念碑を建立して、御先祖様を酒田に迎えることができることを、齋藤氏は心から感謝しておられるが、初代光盛・二代広盛・三代親盛・四代秋盛・・・も喜んでいるものと思う。ライフワークに如儡子研究を選択した私も、この上ない喜びである。