かやぞの の いおぬし

●昨日は、『如儡子百人一首・・・』の校正が切りのよいところまで進んだので、久し振りに散歩に出た。新所沢の中央公園に見事なススキが穂を風になびかせていた。こんな景色を見ると、私は、いやでも、鹿屋園(かやぞの)の庵主(いおぬし)、井関隆子を思い出す。彼女は、薄、尾花が大好きで、自分の住いの前に小ぢんまりとした花園を作って、〈かやぞの〉と名付けて、四季折々の草花を楽しんでいた。

●ところで、隆子は、草花の頭(かみ)はススキだと言って、これを鍾愛していた。『枕草子』の清少納言が「秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ。」と言いながらも、「秋のはてぞ、いと見どころなき。」と切り捨てたのとは異なり、隆子は、秋も冬も春も夏も、ススキの美しさ、哀れさをを見出し、枯れすたれた姿にも、思いやりを寄せている。ここに、清少納言と隆子との美的基準の違いがある。

●自分の住いの前の、小さな花園の四季折々の草花の移ろいを眺めて、さぞや、春の野原は美しいだろうと想像し、雨風に倒れた鹿屋園のススキをつくろいながら、秋の野の尾花はいかが、と思いを馳せる。

●秋の野原で、他の草花を従えるように、一段と高くスッくと立ち上がり、逸早く穂を出して、人々を秋の野に招くススキ、そんな薄が、隆子は好きだったようだ。

■薄  ネットより
箱根の千石原 や昭和女子大学の東明学林の薄を思い出す。