「ふるさと」

●8月も今日で終り。明日からは9月、読書の秋である。現役の頃は、大学の紀要の論文のまとめに励んだ。今は、自分のペースで頑張っている。如儡子百人一首注釈の再校が1昨日出て、それに集中している。

●今日、郷里身延の「みのぶ・ふるさと便」の、第3期の会員募集の案内が届いた。早速、Eメールで申し込んだ。曙大豆・ほうとう・生しいたけ等々。ふるさとの香りが楽しみである。

●今日、平林文雄先生から、「私にとって「ふるさと」とは」という長文のエッセイを送って頂いた。先生には、日本文学研究会で多くの御指導を頂き、感謝している。また、昭和女子大の国文科の学科長の頃には、非常勤講師としてお願いし、資格審査委員会の席上、副学長の松本先生から、素晴らしい業績をもつ平林先生をお招きできた、と褒められた事もあった。

●この度の、平林先生の「ふるさと」を拝読し、先生の大変な人生を知らされ、感激もし、感動もした。先生は、長野県の上高地にお生れになった。小学校時代の成績は抜群。しかし、父上の職業柄、住居を転々と移す。東京・山梨(身延中学)・仙台(高等学校・東北大学・同大学院)・東京(大学勤務)・千葉(高専勤務)・高崎(大学勤務)と居を転じられ、それぞれの所が「ふるさと」の意味をもつと回想しておられる。

●私にとっての「ふるさと」は、甲斐の身延であり、身延山久遠寺の末寺・慈照寺菩提寺で、今も御先祖様のお墓があるが、余りお参りしない不孝者である。如儡子の松岡寺、井関隆子の喜運寺・昌清寺、鈴木重嶺の全龍寺にはお参りするが、慈照寺には御無沙汰のみである。昭和女子大学時代に、保坂都先生に「ふるさと」を大切にしなさいヨ、と注意されたのが、今も忘れられない。

■「みのぶ・ふるさと便」第3期会員募集案内