日本建築の極致

●散歩の途中で、美味しいコーヒーを頂いている、近所の珈琲樹屋で、今日、吃驚するような事があった。何時ものように、マスターとNさんと三人で軽い談笑中、Nさんの言葉が気になった。斎藤茂吉の古い家の移築に関与したと申される、ン? ヒョッとすると、建築関係の方か?。お訊ねすると、何と、佐藤秀工務店に勤務されていたと言う。Nさんは、同工務店の子会社の社長を務め、佐藤秀三社長とは、肝胆相照らす仲だったとのこと。私は、大学へ進む前、義父の関係で、佐藤秀工務店でアルバイトをさせて貰ったことがある。奇遇、奇遇、大奇遇。

●Nさんは、しばし待て、と申されて、近くの家から1冊の写真集を持って来て見せて下さった。『佐藤秀三』縦370ミリ×横260ミリ、昭和54年9月8日、佐藤秀工務店発行、136頁・非売品。巻末に佐藤秀三の写真が掲げられ、明治30年2月20日―昭和53年9月8日、とある。扉には「創業五十周年 佐藤秀工務店 佐藤秀三」とある。つまり、創業者・佐藤秀三は創業50周年の前年に他界されたのである。遺影には、住友吉左衛門氏の悼む言葉が添えられている。

佐藤秀三氏を悼む


 わが為に山小屋を建て
 雲のなか共に歩みし思ひは尽きず
 
 君が好みの太柱立て
 広々と梁も横木も組自在なり
 
 肩に負ひて搬びし材に手斧かけ
 君が手塩に成りしこの家


 昭和五十三年九月八日那須にて
 住友 吉左衛門

那須別邸は、昭和12年の建設である。このアプローチ、この柱、この梁、この照明。私は、これまで、佐藤秀三の顔も知らず、ただ、雲の上の人として、憧れ、尊敬してきたが、今、住友吉左衛門氏の言葉に接し、那須別邸の写真を拝見して、佐藤秀三の日本建築の真髄に出会った思いである。

■住友那須別邸 昭和12年建築
※写真は、鈴木 悠 氏 の作品であり、この本から複写させて頂いた。複写技術が未熟ゆえ、原物とは異なっているので、この点、お許し願いたい。
■このアプローチ


■この柱、この梁


■この照明