記念碑の建立

●今日から5月、世間はGWに入って、国内・国外の移動が始まっている。大震災のこともあり、例年ほどではないが、東北へのボランティア活動も含めて民族移動が始まっている。

●私は、4月末から5月にかけて、如儡子の記念碑のことに集中している。過日、倉員正江氏の「朱舜水没後の祀堂・石碑造営をめぐって」という、力作論文を読んで、徳川光圀の、明の儒学者朱舜水への追慕の思いを知った。朱舜水の墓と記念碑は、常陸太田市の瑞龍山水戸徳川家墓所に現存する。水戸光圀は、自分の墓所と決めた所に舜水の墓もつくり、てあつく葬った。『水戸紀年』の元禄8年の項に、「今年 西山公舜水ノ碑ヲ瑞龍山ニ建テ、自ラ書シテ「明徴君子朱子墓」ト題セラル」とあるという。

●『斎藤徳元研究』をまとめられた、安藤武彦氏は、平成8年10月12日、天橋立智恩寺境内に徳元句碑建立に関与している。表面には「末期にハしにたはことを月夜哉」という徳元句を自筆で刻し、裏面に徳元略伝を安藤氏が書いておられる。石は、黒髪島産出の御影石だという。

●酒田、上日枝神社境内に建立予定の「齋藤筑後守記念碑」は、いわき市産の山崎石、色は青味黒色で、塩釜神社の記念碑と同じ石の由。本来ならば、墓所と同じ、須賀川の江持石にしたかったが、今回の大震災で、石切り場が崩落して、不可能となったらしい。碑面の大きさは、縦1650ミリ×横1005ミリ、撰文は私が担当することになったが、身が引き締まる思いである。清書は尊敬する中国の書家に白羽の矢をたてているが、果たして実現するか否か。10月建立の予定。

朱舜水

朱舜水の墓と記念碑