『藤岡作太郎日記 明治四十一年』

木越治氏を中心とする研究者によって、明治の国文学者、藤岡作太郎の研究が進められていて、この度、『藤岡作太郎日記 明治四十一年』として、科研補助金による研究成果報告書が発行された。有意義な研究主題だと考える。

藤岡作太郎の国文学史上における評価に関しては、秋山虔氏の『古典をどう読むか』(2005年1月13日、笠間書院発行)で『国文学全史 平安朝篇』に関して、詳細な分析の後、高く評価されている。私も『仮名草子研究叢書』(2006年2月25日、クレス出版発行)で、藤岡作太郎の『近代小説史』や『国文学史講話』の関連部分を複製収録した。現在の仮名草子研究においても参照すべき点があるとの考えからである。

●『藤岡作太郎日記 明治四十一年』には、巻末に「人名索引」が付いている。『藤岡作太郎日記』に登場する人物の索引で、それぞれ、略伝がついている。明治期の国文学界の動向を推測する上でも参考になる。饗庭篂村・泉鏡花・狩野亨吉・黒板勝美幸田成友・黒川真頼・笹川臨風佐佐木信綱・志田義秀・塩谷温新村出西周萩野由之・服部宇之吉・藤井乙男・三上参次・水谷弓彦・吉沢義則・和田萬吉・・・。凄い知的集団である。

●これらの中に、松本赴(まつもと きゅう)が、明治41年1月5日に出ている。
「午前脇本と共に身代地蔵に至る 松本赴の尋ね来るにあふ 共に海岸を散歩して来り 談す・・・」

●この松本赴は、昭和女子大学創立者の1人である。
「大正7年4月 文化懇談会発足 発起人は人見圓吉、人見緑、加治いつ、松本赴、坂本由五郎 毎月一回東京府豊多摩郡高田村若葉十八番地の人見宅で懇談会を開く」(『昭和女子大学七十年史』)この人々によって、日本女子高等学院は設立され、現在の昭和女子大学になった。

●私が在職中に、大変お世話になった、副学長・松本昭先生の父君が、松本赴であり、『クオヴァディス』『天路歴程』などの翻訳もある。

★『藤岡作太郎日記 明治四十一年』の詳細→
http://www.ksskbg.com/sonota/shin.htm

■『藤岡作太郎日記 明治四十一年』