鈴木重嶺の墓所 ムックに登場

●定期購読している〔週刊 江戸〕の63は「暗黒の出版統制」(4月12日発行)である。この号に新宿の大久保が取り上げられている。ツツジの名所として知られている大久保である。鉄砲百人組が暮らしていた大久保は、平和が続いた頃に旗本たちが広い屋敷を利用してツツジの栽培を始めたという。

●この大久保の『江戸実測図』と現在の地図を並列して掲げているが、その説明の⑨に「全龍寺 (最後の佐渡奉行鈴木重嶺の墓がある寺)」と紹介されている。私は、平成16年に、法政大学名誉教授・村上直先生の御指導を頂いて、鈴木重嶺顕彰会を創立し、重嶺のお墓に「最後の佐渡奉行歌人 鈴木重嶺・翠園の墓」という案内標識を建てた。

●鈴木家は、徳川家康の時代から幕府に仕えた旗本で、第2代・重元の時、武州豊島郡大久保村に4000坪の領地を拝領した。重元は、寛永13年(1636)に没し、全龍寺に葬られた。鈴木家は、以後、この豊嶋の地に住み、全龍寺を菩提寺として、現在に至ってる。4000坪とは広い土地で、あるいは、鉄砲玉薬関係の作業場も兼ねていたのかもしれない。

●重嶺は、第11代で明治31年(1898)に85歳で没している。いずれにしても、最後の佐渡奉行として活躍し、勝海舟との交流は深かった。幕府瓦解後は、歌人として活躍し、佐佐木信綱とも交流があり、樋口一葉にも歌会で指導していた人物である。今後、次第に知られるようになるだろう。

■〔週刊 江戸〕の63

■大久保周辺の江戸図と現在の地図

■⑨に全龍寺が出ている。