井関隆子の入れ歯

●私は末っ子ゆえ、小さい頃から甘やかされて、母は、お菓子をたくさんくれた。それで虫歯が多く、行く末を案じた私は、東京に出てきた時、下宿に毎日3合の牛乳を配達して貰って飲んでいた。赤ちゃんは母乳だけで成長する、私には、やがて歯の無い時代が来るだろう、その時は牛乳で生き延びよう、という発想である。予想通り、歯医者さんには、本当にお世話になり、今も30年以上、板倉歯科の板倉先生のメンテナンスを受けている。今日も治療してもらってきた。

●ところで、私の敬愛する幕末の女性・井関隆子も歯には苦しんだらしい。天保11年(1840)8月16日、こんな事を書いている。

「世に入歯師とて、人の落たる歯のあとに石などをもて作りたる歯を入るわざあり。残りなく落たるをも、上下皆つくりて誠の歯に似せたり。
一とせ己が歯の落たる時、つくろはせたりしが、其の作りざまやよからざりけん、はぐき痛かりければ、いぶせくて、とり捨てたりき。此ごろは殊にあしくて、くひ物いとむづかし。老たる人にもかばかりならぬはあンなるをと思へど、すべもなし。
此の歯の痛みて顔などはれ、苦しさにたへず、わざととり捨ぬれば、中なかに心地なほりぬ。昔より是もて堅きをかみ、甘きを知りぬれば、いと大事に思ひたる物にはあなれど、はた、是がためにいたう悩まさるるに、腹だたしうなりて、おのづから落つべきをば待つべくもあらず。敵などの如くにくくて、抜き捨るを思へば、賤き者の子なンどの親にいと不孝なる、教ふれどもきかず、常に親の心を苦しめ、せん方なき時、勘当とて追払ふわざなすも、此の悩ます歯に似たり。・・・」

●まだまだ続くが、隆子は、自分の歯が抜け落ちた時、こんな感慨を記している。同じ歯に悩む私とは、違うなーもと感心する。末尾に、こんな歌を詠んでいる。

  もえ出る春ともいはずかなしきは老その森のおちばなりけり

●板倉先生は、隆子のように「はぐき痛かりける」と言えば、すぐ、その場で調整して、痛くないようにして下さる。調整してもらえなかった隆子の苦しみが、イタい程わかる。

■板倉歯科医院

■『井関隆子日記』天保11年8月16日、入歯師の条