夫 そして 父

●『光芒』(Poetry Magazine)66号(2010年12月11日発行)を頂いた。詩誌は千葉県の茂原市で出している。年2回発行であるから、ざっと計算しても30年間以上活動していることになる。この66号も174頁と充実した内容である。詩のほかに、評論・エッセイ・講演記録などを収録している。

●詩作品には、同郷の詩人、佐野千穂子氏の「灌ぐ」が掲載されている。

 そこはかとなく寂しさをにじませはじめていた夫の後姿
 逝って百ヶ日 春の彼岸もすぎた 更にも祈りをと わ
 が家の菩提寺にあらねど 買物帰りに立ち寄った町のと
 ある寺 それに今日は釈尊の降誕を祝う仏事の日 よも
 やこの寺に設えているとは思わなかった花御堂 徐ろに
  ――ぬかずけばわれも善女や仏生会――

●佐野さんのご主人が逝かれて、もう百ヶ日が経ったのか。これは、佐野さんの詩の冒頭の部分のみ。お二人の出会いの頃から、土の上と下とに別れた時までの想いを切々と詠っている。

●「父と傘   中村節子」

 雨がしばらく降っていない
 玄関先には
 使い古した傘が
 枯れ枝のように転がっている
  土手づたいに三十分ほど歩いたところで
  父が働いていたときがあった
  雨が降ると傘を届ける役目はわたしだった
  大人の傘を刀のように脇に差し込んで
  歩きにくそうに狩川沿いを歩いていく
  その頃寄り道をしない父だったから
  途中で濡れた父に出くわすこともあった

●詩はまだまだ続く。少女は父に出会って、小さな自分の傘をたたみ、父の大きな傘に入れて貰って、家へ帰る。幼い頃の詩人の思い出が、ほのかに伝わってくる。

●中村節子氏は、私が昭和女子大学にいた頃、学生に詩作を教えて貰いたくて、講師にお願いした方である。

■『光芒』(Poetry Magazine)66号