浄観院殿の墓

●『歴史読本』3月号を見た。「徳川幕府誕生」を特集している。初代家康・2代秀忠・3代家光、であるから、仮名草子専攻の私にとって、私の時代である。内容は、いずれも魅力的なもので、畑尚子氏の江戸城大奥の基礎、渡辺憲司氏の江戸吉原など、参考になるものが多い。

●今野春樹氏監修の「将軍家の墓―寛永寺谷中徳川家墓所発掘最新レポート」は、群を抜く内容である。寛永寺徳川将軍の墓に関しては、浦井正明氏の労作『もうひとつの徳川物語』(1983年11月12日、誠文堂新光社発行)があるが、今回の発掘調査は、徳川将軍家の御裏方霊屋の発掘調査に関するレポートである。調査は、平成19年6月〜20年9月に実施され、22年10月には、立正大学において成果が発表され、平成23年末には発掘調査の報告書が発行される予定だという。

●第12代将軍家慶の正室有栖川宮の姫宮喬子は、天保11年1月24日に逝去、2月6日に葬儀が行われた。その葬儀の様子を目の前で見た、井関隆子は、その様子を詳細に記し留めている。

■「六日の日、風なく日晴れたり。今日御葬なりとて、いみじき御ひびき聞奉るだにゆゆしきを近うなれ仕うまつれる女房たち、いかに暗惑ひ給ふらむ。・・・梅林とかいへる御内どほりより出させ給ひて、平川てふ御門にて御輿にすえ奉り、上野より御迎への僧たち待うけ、御経読み奉りて、東叡山にわたらせ給ふ。・・・上野の谷中とか聞ゆるわたりに、をさめ奉れりと聞ゆ。此御山におはします准后と聞えさせ給ふ宮は、此御上の御兄人におはします。・・・」(井関隆子日記、11年2月6日)

●その、家慶夫人、有栖川宮・喬子・浄観院の墓が、今回、発掘され、調査されたのである。詳細の報告書を読んでみたいと思う。

■『歴史読本』3月号
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■谷中徳川家の墓所 『歴史読本』3月号 より
 
■浄観院の墓所の発掘現場 同

■浄観院の墓 同