飯田龍一氏のこと

●飯田龍一氏と私が初めて出会ったのは、昭和63年(1988)のことである。出会ったと言っても、直接お会いした訳ではない。飯田氏の御労作『江戸図の歴史』(昭和63年3月10日、築地書館、2万2千円)が完成出版され、見知らぬ私にまで御恵与下さったのがきっかけである。

●飯田氏は、長年、江戸図について研究されていたが、かつて私が、菱川師宣の『江戸雀』(昭和50年、勉誠社)を出した時、遠近道印について言及していた事もあって、お贈り下さったものと思う。実は、飯田氏は三田図書館館長時代、江戸図の研究で、長澤規矩也先生に御指導を頂いていた由であるが、これは後で知った。この著書は、俵元昭氏との共著であるが、江戸図に関しては画期的な労作である。

●そんな経緯があって、飯田氏との交流が始まり、『近世初期文芸』第7号(平成2年)に「『江戸雀』の文体について」を執筆して頂いた訳である。御論は、『江戸雀』は遠近道印の寛文5枚図の文章化ではないか、というもので、道印と『江戸雀』の著者・近行遠通との関連を考える上でも、極めて示唆的な説であった。

●飯田氏との連絡は、全て郵便によるもので、氏は原稿の送付等の外はことごとく葉書であった。それも、2枚、3枚、時には5枚と送られてきた。そういう方針かな、と推測はしていた。その後も、続稿をお願いしていたが、奥様が御病気で、その看病のため、時間がつぶれ、研究が思うように進まない、との連絡をもらい、どうしたものかと案じはしていたが、電話をしたり、お見舞いに伺ったり、出過ぎたことはすべきでない、と遠慮していて、心ならずも数年が経過した。

●平成10年5月、御子息から御連絡を頂き、飯田龍一氏の御他界を知らされた。この間、奥様を失われ、御自身は、4年前の平成6年5月5日、81歳で他界されたが、骨髄性白血病であったとのことである。

●御子息のお話によると、飯田氏は、ことごとく書類を破棄されたとのことであるが、私からの手紙は全部保管されてあり、段ボール箱4個の草稿等は私に渡すようにと言い残された由であった。『近世初期文芸』への続稿をお願いしていた経緯からであろうか。その折、御子息は、龍一氏が使用しておられた、古地図・書籍等も研究に活用して欲しいと申された。そこで、飯田氏の江戸図研究を少しでも有効に継承するために、これらの資料を昭和女子大学図書館へ寄贈して頂くことにした。

●寄贈して頂いたのは、江戸図=111点、書籍=95点である。段ボール箱の資料は、その後、調べてみたが、論文としてまとまったものは無く、また、資料として公表するには、飯田氏自身の御判断が必要な点があり、氏亡き状況では、それもできず、結局、御子息に返却した。

●飯田龍一氏との出合いは、実に感慨深いものがある。このように貴重な資料を、私が託されたのも、三田図書館・館長時代に、長澤規矩也先生に御指導頂いていた事があり、そんな事も関係しているのかも知れない。

■飯田龍一氏 平成4年撮影

■飯田氏の論文「「『江戸雀』の文体について」