埴原正直(はにはら まさなお)

●全く存じ上げない、MA氏から一通の封書が届いた。ある人物の伝記を作成しようと資料探索をしていて、私のHPの「江戸図と飯田龍一氏の旧蔵書」に出会ったという。飯田龍一氏の祖父は飯田義一と言い、龍一氏の本籍は、東京麻布桜田町10番地とあり、探索している人物の住所と同じである。その人物、埴原正直は飯田義一の娘と結婚している。もしや、何か伝記に関する資料についてヒントが得られるかも知れない、そう思って、一書を認めたと申される。

●私が、「飯田龍一氏の江戸図研究――飯田氏追悼――」を『近世初期文芸』第15号に発表したのは、平成10年(1998)のことである。この中の「飯田義一」「麻布桜田町10番地」という文言にネット上で出合い、もしや、と手紙を下さった。ネット社会でなければ、接続しないルートである。伝記研究も、新たな段階に入った。ウスウス感じて、それを活用してはいたが、今回、明確に認識した。

●埴原正直(はにはら まさなお)は、明治・大正時代の外交官。明治9年(1873)8月25日、山梨県中巨摩郡源村に生まれ、明治30年東京専門学校(早稲田大学)卒業。外交官試験合格、外務省に入る。アメリカで大使館に勤務、通商局長・政務局長・外務次官を歴任、大正12年(1923)駐米大使となる。昭和2年(1927)退官し、同9年12月20日没、59歳。墓は多磨霊園にある。

●MA氏の、埴原正直伝記研究が進展する事を切に念じている。

■埴原正直 ウィキペディア より

多磨霊園の 埴原正直 の墓