閏日・閏月

●今、仮名草子『竹斎東下』の校正に集中しているが、知らぬ間に、もう2月に入っていた。2月といえば、28日しか無い。カレンダーを見たら、来年は29日である。1年365日と思っていたら、大学2年の頃、江戸時代には閏月というのがあって、年によって13ヶ月ある事を知り、凄く感動したことを思い出す。旧暦は太陰太陽暦で、平年が大小12ヶ月で354日であるから、5年に2度、19年に7度の割合で閏月を設けて、自然界とのズレを調整していたという。

●『井関隆子日記』を校注していた時は、この旧暦に神経を使った。友達の芸林舎の神田氏から頂いた『三正綜覧』は、大いに活用させて頂いた。現在では、汲古書院から『日暦便覧』が出ていて、簡単に使えるようになった。

●『井関隆子日記』は、天保11年(1840)1月1日から、同15年10月11日までの日記であるが、合計では1753日間になる。この内、日記を記したのは、898日間である。当時の江戸暦や伊勢暦を見ても、天保14年は「凡三百八十四日」とあり、天保15年は「凡三百五十五日」とある。1年365日と決っていて、4年に1日、2月が29日になる現代よりも、もっと複雑で、暦の記載と、自然の移り変りを頼りに生活していたのである。

■『伊勢暦』天保9年


■『天保九年暦』奥州会津 菊地庄左衛門版