文学の〔ことば〕

●諫川正臣氏の発行する詩誌『黒豹』第125号が出た(294−0038 館山市上真倉1832−10 黒豹社、平成22年11月30日発行)。諫川氏は尼崎安四に師事した詩人。毎号、師・尼崎安四の詩と竹内勝太郎の詩論を載せ、表紙は中原淳一の絵で飾り、同人の新作を発表している。私は、詩人・佐野千穂子氏を介して毎号頂いているが、手にする度に、心を洗われる思いがして、感謝している。


「創作が純粋行為であると云つても詩に於いては結局それは言葉の問題に帰する
のである。
 そこで言葉を如何に掴むか。言葉に対する詩人の態度と云ふものが最初のそし
て最後の課題となる。例へば或る人が日常普通の会話のなかにこそ生きた言葉が
あるとし、この言葉の美しさを捜し求め、そしてこの生きた言葉の美しさと云ふ
ものを以て詩を創作しようと試みてゐる、と云ふことが主張される。之は言葉に
対する感覚の鋭さと云ふものを証拠立てる一つの実例にはなるであらう。然し詩
を創作する行為に於いては単に日常会話のなかに生きた言葉を掴むと云ふことだ
けでは足りない。それだけでは真実に詩は生み出せない。否詩を創作する言葉と
はなり難い。なぜならその言葉は日常会話のうちにこそ生きてゐても、之を詩の
素材として取上げられた時には既に死んで居り、化石してゐるからである。即ち
素材と見られる処に於いて早くも概念化が行はれてゐるからである。……
                          (昭和九年三月四日)
                            竹 内 勝太郎」

●詩人や小説家は、自分の作品の中で使う言葉に心を砕く。だから、読者に対して1つの言葉が、重層的な意義を伝え、深いイメージを伝え、一語で表現し得ない趣きや雰囲気を伝える。私は、かつて、2人の国語学者と酒酌み交わしながら、このことで、1時間の余も討論したことがある。今は、懐かしい思い出である。

■『黒豹』第125号