カフカ の プラハ

●今週の『世界遺産』は「プラハの歴史地区」である。私は平成9年(1997)8月、友人達と5人連れで、チェコプラハを訪れた。聖ヴィート大聖堂を中心にしたプラハ城や、30の聖人像の立つ石のカレル橋の歴史遺産に大きな感動を覚えた。

プラハ城の外側に、「黄金の小道」があり、ここでは、黄金や不老長寿の秘薬を作っていたという。この中の1軒に、プラハ生まれの作家・カフカが住んで創作もしていたという家がある。入ってみると、小ぢんまりとした部屋が3つほどであった。ここに、あのカフカが住んでいたのか、と思うと、これも大きな感動であった。

●市内には、カフカの生家があった。狭い通りの街角の建物、その頃はドアに MUSIC SHOP と出ていた。建物の壁には銅のカフカの顔のレリーフがあり、ZDE SE 3.7.1883 NARODIL FRANZ KAFKA と刻まれていた。『変身』や『審判』の作者は、ここで生れたのか。やはり、大きな感激であった。

●市内の通りに面して、ユダヤ人の大きなお墓があった。その墓地には、墓石が並んで建っているのではなく、何層も何層も地下から積み重ねられているという。こんな事があっていいのか、慄然とした。その時、その墓地を覗き込む高校生くらいの青年がいた。真剣な眼差しで、何時までも見つめ続ける表情は、今も忘れられない。ユダヤ人の青年だろう。

■■『世界遺産』「プラハの歴史地区」

■黄金の小道 カフカの家


カフカの生家


ユダヤ人の墓地