文学博士 鈴木重嶺

●菊池先生から、「GOOGLEブックス」に掲載されている、鈴木重嶺に関する情報を教えて頂いた。1つは、『風来山人傑作集』(博文館)の広告に出ている『銀婚式賀艸』という本に鈴木重嶺の文章が掲載されているという事。もう1つは、『金比羅宮風光図会』という本に、

「明妙照妙なせる紅葉よみそきの幣と散らすもあらなむ
                文学博士鈴木重嶺

とある事。この貴重な2つの記録である。有り難いことだと感謝する。

●菊池先生は、ついでに、鈴木重嶺は文学博士だったのでしょうか、とコメントを付けておられる。
幕臣佐渡奉行を最後に官職から引退し、以後は、和歌の道を楽しんでいた重嶺である。明治政府から、それまでの業績を認められて、従五位の身分を与えられてはいたが、文学博士の資格を得るはずは無い。ただ、維新後も、多くの人々に歌を教え、勝海舟などの政治家や文化人と交流し、文化的発言も多かったので、一般的には、文学の分野での大物と受け止められていたものと思われる。そんな関係で、『金比羅宮風光図会』の編集者が「文学博士」と勝手に冠したのであろう。重嶺自身が、そのような詐称をしたとは思えない。

●ついでに記すが、昭和から平成への制度の改定で、「文学博士」と「博士(文学)」とは、明らかに異なる。「博士(文学)」を、「文学博士」と記すと、これは学歴詐称になるので注意を要する。国会議員なら辞職しなければならない。

■■『金比羅宮風光図会』掲載の鈴木重嶺の部分。