恩師追悼 鈴木重嶺

●注文していた本が古書店から届いた。明治17年に鈴木重嶺が出版した、歌の師、村山素行(むらやま・そこう)と伊庭秀賢(いば・ひでかた)追悼の歌集『志能夫具佐(しのぶぐさ)』である。

●最後の佐渡奉行を勤め、維新後は歌人として活躍した、鈴木重嶺・翠園は、旗本の頃から歌を学んでいたが、その師匠は、村山素行であり、素行没後は伊庭秀賢の指導を受けた。素行は天保6年(1835)に64歳で没し、伊庭秀賢は明治5年(1872)に73歳で没した。重嶺は、明治17年に、恩師・素行没後50年と、秀賢13回忌を期に、追悼歌集『志能夫具佐』を出版した。

『志能夫具佐』  鈴木重嶺 撰  明治十七年序

「ことし、十一月十六日は先師、宝所庵翁の五十年忌、後の師、詞林園翁の十三年忌にあたれり。たゝし、後の師は、月はおくれたけと此をもともにして、追悼の筵をひらき、やことなきあたりにこひまつり、親しき友たちにもこひ、をしへ子にもよませたる、かなしみの哥、こゝらの数になりにたるを、まとゐにまゝ此し人たちにも見せまゐらせむとて、かくはものしつるになむ。又、其日、床にかけし宝所庵翁の碑文と詞林園翁の略伝とをも、人々にしらせまほしくて、巻のはしめに起し出つ。時は、明治といふとしの十あまり七とせ、しはすはかり。翠園鈴木重嶺誌」

●追悼歌集には、「村山素行翁碑面」と「伊庭秀賢翁略伝」が収録されている。いずれも、伝記資料としての価値は高いだろう。追悼歌を寄せるのは、久我建通・松浦詮・勝海舟・高崎正風・小中村清矩・黒川真頼・井上頼国・鶴久子・中嶋歌子・・・などである。

  うけ継し教へもなかは遂なくに昔は遠くなりにけるかな 従五位 鈴木重嶺 

■■『志能夫具佐』

■ 鈴木重嶺の序


■「村山素行翁碑面」

■ 碑の裏面

■ 「伊庭秀賢翁略伝」

■ 追悼歌 巻頭

■ 追悼歌 2頁目