鈴木重嶺とその周辺

●私が、鈴木重嶺・翠園に出会ったのは、昭和51年(1976)のことである。30年以上前のことである。以後、調査・研究してきた成果を、HP「近世初期文芸研究会」に公表してきている。現在の内容は以下の通りである。
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鈴木重嶺〔すずき しげね〕
徳川幕府に仕え、最後の佐渡奉行となる。明治11年、職を辞し、東京で鶯蛙吟社を組織し、月並歌会を催し、短歌雑誌『詞林』を主催した。佐佐木信綱と共に明治初期歌壇の名家とみなされていた。『詞林』は後に、佐佐木信綱の『心の華』に合併した。
鈴木重嶺(翠園)略伝
鈴木重嶺(翠園)伝記研究序説
鈴木重嶺(翠園)関係資料(1)
鈴木重嶺(翠園)関係資料(2)
鈴木重嶺(翠園)関係資料(3)
鈴木重嶺(翠園)関係資料(4)
鈴木重嶺(翠園)関係資料(5)
鈴木重嶺(翠園)関係資料(6)
松浦詮編『蓬園月次歌集 全』の紹介(菅野・深沢)
雑誌『太陽』掲載の鈴木重嶺の和歌等
鈴木重嶺翁逸話
昭和女子大学図書館・翠園文庫
鈴木重嶺顕彰会
佐渡の思ひ出(石倉翠葉)
勝海舟鈴木重嶺・楳村宣雄『節季正月双六』(菊池)
鈴木重嶺作・今様(菊池)
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●この情報が、諸方面に伝播し、明治期の人々の研究に役立ち始めている。明治期の自由民権運動に関連する、島本仲道の回顧録『夢路の記』の跋文を重嶺は書いている。また、漢詩集『松江竹枝』の著者・篠田謙治は重嶺の門人で、近時、島根大学の要木純一氏が研究を進めておられる。一昨日は、橘東世子・橘道守の研究者から、鈴木重嶺に関して問合せがあった。東世子・道守親子は、いずれも、重嶺・翠園と関連がある人たちであった。
鈴木重嶺・翠園は、明治期の多くの文化人と交流があった。今後、重嶺の関係資料は大いに活用されるだろう。私が、資料をネット上に公開しているのは、その事を期待しているからである。
★★「鈴木重嶺関係資料」→http://www.ksskbg.com/suzuki/index.html

■■ 鈴木重嶺 漢詩の軸 縦1331ミリ×横475ミリ